墨子 巻十 経説下
《経説下》
止、彼以此其然也、説是其然也、我以此其不然也、疑是其然也。
謂四足獣與、牛馬與、物盡異、大小也。此然是必然、則俱。
馬麋同名俱門、不俱二、二與門也。包肝肺、子愛也。橘、茅、食與抬也。白馬多白、視馬不多視、白與視也。為麗不必麗、不必麗與暴也、為非以人、是不為非。若為夫勇、不為夫。為屨以買衣為屨、夫與屨也。
二與一亡、不與一在、偏去未。有之實也、而後謂之、無之實也、則無謂也。不若敷與美、謂是則是固美也、謂也則是非美。無謂則報也。
見不見離、一二不相盈、廣修堅白。
挙不重不與箴、非力之任也、為握者之倍、非智之任也。若耳目。
異、木與夜孰長。智與粟孰多。爵、親、行、賈四者孰貴。麋與霍孰高。麋與霍孰霍。𧈳與瑟孰瑟。
偏、俱一無變。
假、假必非也而後假。狗、假霍也、猶氏霍也。
物、或傷之、然也、見之、智也。告之、使智也。
疑、逢為務則士、為牛廬者夏寒、逢也。挙之則軽、廢之則重、非有力也。沛従削、非巧也、若石羽、循也。門者之敝也、以飲酒、若以日中、是不可智也、愚也。智與、以已為然也與、愚也。
俱、俱一、若牛馬四足、惟是、當牛馬。數牛數馬則牛馬二、數牛馬則牛馬一。若數指、指五而五一。
長宇、徙而有處、宇。宇南北、在且有在莫、宇徙久。
無堅得白、必相盈也。
在、堯善治、自今在諸古也。自古在之今、則堯不能治也。
景、光至景亡、若在盡可息。
景、二光夾一光、一光者景也。
景、光之人煦若射。下者之人也高、高者之人也下。足敝下光、故成景於上。首敝上光、故成景於下。在遠近有端、與於光、故景障内也。
景、日之光反燭人、則景在日與人之間。
景、木柂、景短大。木正、景長小。火小於木、則景大於木。非獨小也、遠近。
臨、正鑒景寡。貌能、白黒、遠近、柂正、異於光。鑒景當俱、就、去亦當俱、俱用北。鑒者之臭於鑒、無所不鑒。景之臭無數而必過、正故同處、其體俱然、鑒分。
鑒、中之内、鑒者近中、則所鑒大、景亦大、遠中、則所鑒小、景亦小、而必正。起於中緣正而長其直也。中之外、鑒者近中、則所鑒大、景亦大、遠中、則所鑒小、景亦小、而必易。合於而長其直也。
鑒、鑒者近則所鑒大、景亦大、亣遠、所鑒小、景亦小、而必正。景過正故招。
負、衡木加重焉而不撓、極勝重也。右校交繩、無加焉而撓、極不勝重也。衡加重於其一旁必捶、権重相若也。相衡則本短標長、両加焉重相若、則標必下、標得権也。
挈、有力也、引無力也。不正所挈之止於施也、繩制挈之也、若以錐刺之。挈、長重者下、短軽者上、上者愈得、下下者愈亡。繩直権重相若、則正矣。收、上者愈喪、下者愈得、上者権中盡、則遂。挈、両輪高、両輪為轉、車梯也。重其前、弦其前、載弦其前、載弦其古(車偏+古)、而縣重於其前。是梯挈且挈則行。凡重、上弗挈、下弗收、旁弗劫、則下直杝、或害之也流。梯者不得流直也。今也廢尺於平地、重不下、無旁也。若夫繩之引古(車偏+古)也、是猶自舟中引横也。
倚、倍、拒、堅、䠳、倚焉則不正。
誰、并(立偏+并)石、壘石耳。夾寝者法也。方石去地尺、關石於其下、縣絲於其上、使適至方石。不下、柱也。膠絲去石、挈也、絲絕、引也。木變而名易、收也。
買、刀、糴相為賈。刀軽則糴不貴、刀重則糴不易。王刀無變、糴有變。歳變糴、則歳變刀。若鬻子。
賈、盡也者、盡去其以不讐也。其所以不讐去、則讐正。賈也宜不宜正欲不欲、若敗邦鬻室嫁子。
無、子在軍、不必其死生、聞戦、亦不必其生。前也不懼、今也懼。
或、知是之非此也、有知是之不在此也、然而謂此南北、過而以已為然。始也謂此南方、故今也謂此南方。
智、論之非智無以也。
謂、所謂非同也、則異也。同則或謂之狗、其或謂之犬也、異則或謂之牛、牛或謂之馬也。俱無勝。是不辯也。辯也者、或謂之是、或謂之非、當者勝也。
無、讓者酒、未讓始也。不可讓也。
於石一也、堅白二也、而在石。故有智焉、有不智焉、可。
有指、子智是、有智是吾所先挙、重則。子智是、而不智吾所先挙也、是一。謂有智焉、有不智焉也。若智之、則當指之智告我、則我智之、兼指之以二也。衡指之、参直之也。若曰、必獨指吾所挙、毋挙吾所不挙、則者固不能獨指。所欲相不傳、意若未校。且其所智是也、所不智是也、則是智是之不智也、悪得為一謂而有智焉有不智焉。
所、春也、其執固不可指也。逃臣、不智其處。狗犬、不智其名也。遺者、巧弗能両也。
智、智狗、重智犬、則過、不重、則不過。
通、問者曰、子智騾乎。應之曰、騾何謂也。彼曰、騾施。則智之。若不問騾何謂、徑應以弗智、則過。且應必應問之時。若應長、應有深淺大常中在兵人長。
所、室堂、所存也。其子、存者也。據在者而問室堂、悪可存也。主室堂而問存者、孰存也。是一主存者以問所存、一主所存以問存者。
五、合水土火火。離。然火鑠金、火多也。金靡炭、金多也。合之府水、木離木若識麋輿魚之數、惟所利。
無、欲悪傷生損壽、説以少連。是誰愛也、嘗多粟。或者欲不有能傷也、若酒之於人也。且智人利人、愛也。則唯智弗治也。
損、飽者去餘、適足不害。能害飽、若傷麋之無脾也。且有損而后益智者、若虐病之之於虐也。
智、以目見。而目以火見、而火不見。惟以五路智、久不當以目見若以火見。
火、謂火熱也、非以火之熱我有、若視日。
智、雜所智與所不智而問之、則必曰、是所智也、是所不智也。取、去俱能之、是両智之也。
無、若無焉、則有之而后無、無天陷、則無之而無。
擢、疑、無謂也。藏、也今死、而春也得文、文死也可。且猶是也。
且、且必然、且已、必已。且用工而後已者、必用工後已。
均、髮均、縣軽、而髮絕、不均也。均、其絕也莫絕。
堯、霍、或以名視人、或以實視人。挙友富商也、是以名視人也。指是臛也、是以實視人也。堯之義也、是聲也於今、所義之實處於古。若殆於城門與於藏也。
狗、狗犬也。謂之殺犬、可。若両脾。
使、令使也。我使我、我不使、亦使我。殿戈亦使殿、不美、亦使殿。
荊、沈、荊之見也。則沈淺非荊淺也、若易五之一。
以、楹之摶也、見之、其於意也不易、先智、意相也。若楹軽於秋、其於意也洋然。
段、椎、錐俱事於履、可用也。成繪屢過椎、與成椎過繪屢、同、過仵也。
一、五有一焉、一有五焉。十、二焉。
非、著半、進前取也、前則中無為半、猶端也。前後取則端中也。著必半、無與非半、不可斫也。
可無也、已給則當給、不可無也。久有窮無窮。
正、九、無所處而不中縣、摶也。
傴宇不可偏挙、字也。進行者先敷近、後敷遠。
行、者行者必先近而後遠。遠修近修也、先後久也。民行修必以久也。
一、方貌盡。俱有法而異、或木或石、不害其方之相合也、盡貌、猶方也。物俱然。
牛狂與馬惟異、以牛有齒、馬有尾、説牛之非馬也、不可。是俱有、不偏有、偏無有。曰之與馬不類、用牛角、馬無角、是類不同也。若挙牛有角、馬無角、以是為類之不同也、是狂挙也、猶牛有齒、馬有尾。
或不非牛而非牛也。可、則或非牛或牛而牛也。可。故曰、牛馬非牛也。未可、牛馬牛也。未可。則或可或不可、而曰、牛馬牛也、未可。亦不可。且牛不二、馬不二、而牛馬二。則牛不非牛、馬不非馬、而牛馬非牛非馬、無難。
彼、正名者彼此彼此可。彼彼止於彼、此此止於此、彼此不可。彼且此也、彼此亦可。彼此止於彼此、若是而彼此也、則彼亦且此此也。
唱無過、無所周、若粺。和無過、使也、不得已。唱而不和、是不学也。智少而不学、必寡。和而不唱、是不教也。智而不教、功適息。使人奪人衣、罪或軽或重、使人予人酒、或厚或薄。
聞、在外者所不知也。或曰、在室者之色若是其色、是所不智若所智也。猶白若黒也、誰勝。是若其色也、若白者必白。今也智其色之若白也、故智其白也。夫名以所明正所不智、不以所不智疑所明。若以尺度所不智長。外、親智也、室中、説智也。
以、誖、不可也。出入之言可、是不誖、則是有可也。之人之言不可、以當必不審。
惟、謂是霍、可。而猶之非夫霍也、謂彼是是也、不可。謂者毋惟乎其謂。彼猶惟乎其謂、則吾謂不行。彼若不惟其謂、則不行也。
無、南者有窮則可盡、無窮則不可盡。有窮無窮未可智、則可盡不可盡不可盡未可智。人之盈之否未可智、而必人之可盡不可盡亦未可智、而必人之可盡愛也。
誖、人若不盈先窮、則人有窮也、盡有窮無難。盈無窮、則無窮盡也、盡有窮無難。
不、二智其數、悪智愛民之盡文也。或者遺乎。其問也盡問人、則盡愛其所問。若不智其數而智愛之盡文也、無難。
仁、仁、愛也、義、利也。愛利、此也、所愛所利、彼也。愛利不相為内外、所愛利亦不相為内外。其為仁内也、義外也、挙愛與所利也、是狂挙也。若左目出、右目入。
学、也以為不知学之無益也、故告之也。是使智学之無益也、是教也。以学為無益也。教、誖。
論誹誹之可不可以理、之可誹、雖多誹、其誹是也。其理不可誹、雖少誹、非也。今也謂多誹者不可、是猶以長論短。
不、誹非、己之誹也。不非誹、非可非也、不可非也。是不非誹也。
物、甚長、甚短、莫長於是、莫短於是。是之是也、非是也者、莫甚於是。
取、高下以善不善為度、不若山澤。處下善於處上、下所請上也。
不是、是則是且是焉。今是不文於是而不於是、故是不之是。不文則是而不文焉。今是文於是而文與是、故文與是不文同説也。
《経説下》
止、彼は此の其の然るを以ってし、是の其の然るを説くなり、我は此の其の然らずを以ってし、是の其の然るを疑うなり。
四足は獣の與を謂ひ、牛馬の與にして、物は盡く異なり、大小なり。此は然り是は必ず然り、則ち俱にす。(與、又類也。)
馬は麋く名を同じくし俱に門き、俱に二たず、二つは門くに與ふなり。包、肝、肺を、子は愛する。橘、茅を、食らふは抬げて與するなり。白馬の白きは多しも、馬の視の視は多からず、白は視に與ふ。麗と為せども必ずしも麗ならず、必ずしも麗は暴に與はず、非を為して人を以ってすれども、是は非とは為さず。若し夫が勇を為せども、夫とは為さず。屨を為るに以って衣を買ひ屨を為らば、夫は屨に與ふなり。(門、聞也、守也。二、分而爲二、以象両。與、又許也、従也。包、妊也。麗、両馬也。暴、疾也。夫、男子通稱、又丈夫也。)
二は一に與ふに亡ず、一に與はずは在り、偏去するは未だなり。之の實有るや、而に後に之を謂ひ、之の實は無しなり、則ち謂ふは無しなり。敷く美に與ふが若くにならず、是と謂へば則ち是は固より美なり、謂れば則ち是は美に非ず。謂に無くば則ち報なり。(亡、非也。美、善也、好也。謂、説也。報、論也。)
見ると見ざると離すれば、一と二とは相盈たず、廣と修は堅と白なり。(離、明也。修、又長也。堅白、堅白異同説)
挙は重ならず與ならず箴なり、力は任に非ずなり、握者は倍を為すも、智は任に非ずなり。耳目の若きなり。(與、舁也、共舉也。箴、又規戒也。任、又事也。)
異、木と夜は孰か長き。智と粟と孰か多き。爵、親、行、賈の四者は孰か貴し。麋と霍とは孰か高し。麋と霍と孰か霍か。𧈳と瑟と孰か瑟か。(霍、人名也、又飛聲也。瑟、楽器也、又衆貌也。注意;「𧈳」は説文解字、康熙字典に載らない漢字)
偏、俱に一にすれば變ずる無し。
假、假は必ず非にして而に後に假る。狗と霍を假れば、猶霍を氏とするがごとし。(假、又借也。霍、又鸖也、猶霍氏也)
物、或いは之を傷つくるは、然るなり、之を見るは、智るなり。之を告ぐるは、智ら使むるなり。
疑、務を為すに逢へば則ち士、牛廬を為る者は夏を寒ぎ、逢す。之を挙ぐれば則ち軽く、之を廢けば則ち重く、力の有るに非ざるなり。沛の削に従ふは、巧に非ざるなり、石羽の若し、循なり。門く者の之を敝すに、飲酒を以ひ、若し日中に以ひるは、是は智る可からず、愚なり。智に與ひ、已に以って然りと為すに與ふは、愚なり。(寒、捍也。逢、迎也。循、善也。敝、敗也、覆也。罷也。以、又用也。)
俱、一を俱にするは、牛馬の四足の若く、惟の是は、牛馬に當る。牛を數へ馬數ふは則ち牛馬は二、牛馬を數へば則ち牛馬は一。若し指を數ふれば、指は五にして而に五は一なり。
長宇、徙りて而して處は有り、宇なり。宇は南北にして、在は且た有り在は莫し、宇の徙ること久なり。
無は堅にして白を得、必ず相盈たすなり。(参照;堅白異同論)
在、堯の善く治むるは、今自り諸の古を在らかにするなり。古自り今を在らかにすれば、則ち堯は治むる能はざるなり。
景、光至れば景は亡ひ、若し在れば盡く息る可し。
景、二光は一光を夾み、一光は景なり。
景、光は之きて人を煦すこと射るが若き。下きものの人に高く、高きものの人に之くや下し。足より下光を敝てば、故に景は上に成す。首より上光を敝てば、故に景は下に成す。遠近は在りて端は有り、光に與ひ、故に景は内に障るなり。(煦、熱也。敝、罷也、又放也。與、又許也、従也。障、隔也。)
景、日の光を人に反燭すれば、則ち景は日と人との間に在り。
景、木に柂なれば、景は短く大なり。木に正なれば、景は長く小なり。火の木より小なれば、則ち景は木より大なり。獨り小に非らざるなり、遠近なり。
臨、正鑒の景は寡し。貌能、白黒、遠近、柂正は、光において異なる。鑒の景は當に俱にし、就く、去るも亦た當に俱にすべし、俱にとは用いて北くなり。鑒するものの鑒における臭は、鑒せざる所無し。景の臭は無數にして而に必ず過り、正は故に處を同じくし、其の體は俱なるも然り、鑒は分かつ。(北、乖也。臭、敗也、又潰也。過、度也、経也。)
鑒、中の内、鑒するもの中に近ければ、則ち鑒する所は大、景も亦た大、中に遠ければ、則ち鑒する所は小、景も亦た小、而して必ず正。中に起り正に緣りて而して其の直を長くす。中の外、鑒する者は中に近ければ、則ち鑒する所は大、景も亦た大、中の遠ければ、則ち鑒する所は小、景も亦た小、而して必ず易る。合して而た其の直は長くす。(中、又中央、四方之中也、又心也。)
鑒、鑒するものの近ければ則ち鑒する所は大、景も亦た大、亣く遠ければ、鑒する所は小、景も亦た小、而して必ず正。景の正を過ぐれば故に招るなり。(亣、古同大、又長也。招、求也。又揭也。)
負、衡木の重きを加へて而に撓まざるは、極は重きに勝へるなり。右を校ぎ交も繩り、加ふる無くして而に撓むは、極は重きに勝へざるなり。衡の重きを其の一旁に加ふれば必ず捶る、権するに重きは相若くなり。衡を相すれば則ち本は短く標は長く、両加して重さ相若ければ、則ち標は必ず下る、標の権を得るなり。(衡、橫大木、又平軽重也。極、棟也。右、又上也。校、木囚也。囚、繫也。繩、索也。権、又平也。標、木末也。)
挈、力は有り、引は力無し。正しからざるは挈する所の施に止まるなり、繩制の之を挈するや、錐を以って之を刺すが若き。挈するに、長重なるものは下り、短軽なるものは上り、上るものは愈よ得て、下に下るものは愈よ亡る。繩直権重相若けば、則ち正し。收、上るものは愈よ喪れ、下るものは愈よ得る、上るものの権は中に盡き、則ち遂つ。挈、両輪は高く、両輪は轉を為す、車梯なり。其の前に重あり、其の前に弦あり、載び其の前に弦あり、載び其の軲を弦にし、而して其の前に重しを縣く。是の梯挈し且つ挈すれば則ち行く。凡そ重きは、上は挈せず、下に收せず、旁は劫せず、則ち下に直杝し、或いは之を害せば流る。梯れば流ること能はざるなり、直なり。今、尺を平地に廢すれば、重は下らず、旁するは無しなり。若し夫の繩の軲を引くや、是は猶ほ舟中自り横を引くがごとしなり。(挈、縣持也、滑車也。施、張也、延也。権、又平也。收、動也、橫木也。喪、失也。得、獲也。軲、車也、亡、逃也。害、又殘也。流、又放也、又下也。梯、又凭也。)
倚、倍、拒、堅、䠳、倚すれば則ち正ならず。
誰、石を并(立偏+并)べ、石を壘むのみ。寝を夾むものは法なり。方石の地を去ること尺、石を其の下に關き、絲を其の上に縣き、適に方石に至ら使め。下らざるは、柱なり。絲を膠つて石を去るは、挈なり、絲の絕ゆるは、引なり。木の變じて而して名は易るは、收なり。
買、刀、糴の賈を相為す。刀の軽ければ則ち糴は貴ならず、刀の重ければ則ち糴は易ならず。王刀は變ずること無く、糴に變ずるは有り。歳ごとに糴を變ずれば、則ち歳ごとに刀は變ず。子を鬻ぐが若し。
賈、盡くすとは、盡く其を去り以って讐れざるなり。其の讐れざる所以を去れば、則ち讐るは正なり。賈の宜不宜は正に欲不欲なり、敗邦の室を鬻ぎ子を嫁するが若き。(讐、其字作售。)
無、子に軍は在り、其の死生を必せず、戦を聞くは、亦た其の生を必せず。前には懼れず、今や懼る。
或、是の此に非ざるを知り、有た是の此に在らざるを知る、然り而して此の南北を謂ひ、過ちて而に以って已を然りと為す。始にや此の南方を謂ふ、故に今や此の南方を謂ふ。
智、之を論じ智に非ざれば以ってすること無きなり。
謂、謂ふ所の同じに非ざれば、則ち異なる。同じきは則ち或ひは之を狗と謂ひ、其の或ひは之を犬と謂ひ、異なるは則ち或ひは之を牛と謂ひ、牛の或ひは之を馬と謂ふ。俱に勝るは無し。是を辯ぜざるなり。辯なるものは、或いは之を是と謂ひ、或ひは之を非と謂ひ、當るものは勝るなり。
無、讓るは酒くなり、讓ること未きは始なり。讓る可からざるなり。(酒、就也、造也。)
於、石は一なり、堅白は二なり、而して石に在り。故に智るは有り、智らざるは有り、可なり。
有指、子は是を智り、有た是の吾が先に挙げし所を智れば、則ち重なる。子は是を智り、而して吾が先に挙げし所を智らざれば、是は一なり。智る有りて、智らざる有りと謂ふなり。若し之を智れば、則ち當に之の智を指し我に告ぐべし、則ち我は之を智り、之を兼ね指すに二つを以ってするなり。之を衡し指すに、之は参直なり。若し、必ず獨り吾が挙げし所を指し、吾が挙げざる所を挙ぐる毋しと曰はば、則ち固より獨り指す能はず。欲する所相傳はらず、意は未だ校はらざるが若し。且つ其の智る所は是なり、智らざる所は是なり、則ち是れ是を智ると智らざるとなり、悪むぞ一と為し而して智る有りや智らざる有りやと謂ふを得むや。
所、春なり、其の執の固より指す可からず。逃臣は、其の處を智らず。狗犬は、其の名を智らず。遺ふ者は、巧みなるも両すること能はず。(遺、亡也、失也。両、両猶耦也)
智、狗を智つて、重ねて犬を智るは、則ち過る、重ならざれば、則ち過らず。
通、問ふ者の曰く、子は騾を智るか。之を應じて曰く、騾とは何を謂ぞや。彼の曰く、騾を施す。則ち之を智る。若し騾とは何を謂ぞやと問はずして、徑に應ずるに智らざるを以ってするは、則ち過る。且た必ず之の問ひに應ずる時に應ふ。若し應ずるに長すれば、應ずるに深淺有りて大は常に兵人の長に在るに中る。(長、又善也。大、猛也。中,猶成也。)
所、室堂は所存なり。其の子は存者なり。在者に據つて而して室堂を問ひ、悪にか存す可きや。室堂を主として而して存者に問ふ、孰か存するや。是の一は存者を主として以つて所存を問ひ、一は所存を主として以つて存者を問ふ。
五、水・土・火を合わせ火は離る。然火の金を鑠するは、火の多きなり。金の炭を靡すは、金の多いなり。之を合わせ水に府き、木の木を離き識として麋と魚とを數が若く、惟だ利する所なり。(數、計也、責也。)
無、欲悪は生を傷ひ壽を損ふ、説は少連を以ってす。是を誰か愛すや、粟を多ね嘗る。或ひは傷ふ能ふは有らずを欲し、人に之を酒るが若きなり。且た人を智り人を利し、愛すなり。則ち智ると唯も治まらずなり。(嘗、祭也。多、重也。酒、就也。造也。)
損、飽者の餘を去れば、適足して害あらず。能く害あるは飽、傷麋の無脾の若くなり。且た損じて而して后に益を智る者有り、虐病の虐に於けるが若きなり。
智、目を以って見る。而して目は火を以って見、而に火は見ず。惟、五路を以って智り、久は目を以って見ること、火を以って見るが若くなるに當らず、。
火、火は熱しと謂ふなり、火の熱きは我が有なるを以つてに非ず、日を視るが若し。
智、智る所と智らざる所を雜へて而して之を問へば、則ち必ず曰はむ、是は智る所なり、是は智らざる所なり。取、去は俱に之を能くするは、是は両ながら之を智るなり。
無、焉の無きが若きは、則ち之の有りて而して后に無し、天の陷ること無きは、則ち之は無くにして而に無し。
擢、疑なり、謂ふこと無しなり。藏して今は死ふ、而に春て文を得るも、文を死ふ可し。且た猶是なり。(藏、匿也。又蓄也。死、澌也、又索也。春、推也、出也。文、猶美也,善也。)
且、且に必ず然らむ、且に已まむとすれば、必ず已む。且に工を用ひむとして而して後に已む者は、必ず工を用ひて後に已む。
均、髮の均しくし、軽く縣け、而して髮の絕えるは、均しからざるなり。均しければ、其は絕えむや絕えず。(軽、重之對也)
堯、霍、或いは名を以って人を視にし、或いは實を以って人を視にす。友の富商たるを挙げるは、是は名を以って人を視にするなり。是の臛を指すは、是の實を以って人を視にするなり。堯の義は、是の今に於ける聲なり、義とする所の實は古に處る。若きは城門と藏に於けるも殆ひなり。(視、明也、比也。殆、危也。始也。)
狗、狗は犬なり。之の犬を殺すと謂ふは、可なり。両脾の若き。
使、使は令むるなり。我の我を使むは、我を使めず、亦た我を使む。戈を殿むは亦た殿を使む、美からずは、亦た殿を使む。(殿、止也、定也。戈、戦也。)
荊、沈は、荊の見なり。則ち沈の淺なるは荊の淺なるに非ざるなり、易の五の一の若き。
以、楹の之は摶なり、之を見るは、其の意に於いて易らず、先ず智り、意は相するなり。若し楹の秋に於いて軽ければ、其の意に於いて然りは洋し。(以、爲也、又用也。洋、多也、又廣也。)
段、椎、錐の俱に履に於いて事あり、用ふ可きなり。成せて繪屢過椎、成せて椎過繪屢とは、同じ、過仵するなり。(成、又必也、猶倂也。)
一、五に一は有り、一に五は有り。十に、二あり。
非、半に著れば、前に進みて取れば、前は則ち中は半と為ること無く、猶端のごとし。前後より取れば則ち端は中なり。必ず半に著れば、與に半に非ざる無し、斫る可からずなり。(著、居也。)
無かる可きなり、已に給れば則ち當に給る、無かる可からざるなり。久は窮に有り窮に無し。(給、相足也。)
正、九の、處る所として而して縣に中らざる無し、摶なり。
傴宇は偏挙す可からず、字なり。行に進む者は先ず近きに敷き、後に遠きに敷く。(敷、散也。又與傅同。)
行、行者なる者は必ず先に近きをし而る後に遠きをす。遠きを修め近きを修めるなり、先後は久し。民の行を修めるは必ず久を以ってすなり。
一、方は貌を盡くす。俱に法は有りて而に異なる、或いは木或いは石、其の方の相合ふを害ざるなり、盡く貌なり、猶方なり。物は俱に然りなり。(貌、周道也。)
牛の狂と馬を惟ふに異あり、牛に齒は有り、馬に尾は有るを以って、牛の馬に非ずを説くや、不可なり。是は俱に有りて、偏有り、偏有ること無きにあらざればなり。之を馬と類せずと曰ふに、牛の角、馬の角無しを用いて、是の類は同じからざるなり。若し牛に角有り、馬の角無しを挙げて、是を以って類の同じからざると為すや、是は狂挙なり、猶牛に齒有り、馬に尾有るがごとし。(狂、狂是醜悪。惟、思也。)
或ひは牛に非ずにあらずして而に牛に非ずとや。可なり、則ち或いは牛に非ず或ひは牛なり而に牛なりとや。可なり。故に曰く、牛馬は牛に非ずなり。未だ可ならず、牛馬は牛なり。未だ可ならず。則ち或いは可或いは不可なり、而して曰く、牛馬は牛なりは、未だ可なり。亦た可ならずなり。且つ牛は二ならず、馬は二ならず、而に牛馬は二なり。則ち牛は牛に非ずはあらず、馬は馬に非ずはあらず、而に牛馬は牛に非ず馬に非ず、難は無し。
彼、正しき名は彼の此にして彼の此は可なり。彼の彼は彼に於いて止まり、此の此は此に於いて止まり、彼の此は可ならず。彼は且た此なり、彼の此は亦た可なり。彼の此は彼の此に於いて止まり、是の若くして而して彼は此なり、則ち彼は亦た且つ此は此なり。(此、近在此也。)
唱ふるに過無けれども、周る所無ければ、粺が若し。和するに過無けれども、使むるや、已むを得ず。唱へて而に和せざるは、是は学ばざるなり。智の少くして而に学ばざれば、必ず寡し。和して而して唱へざるは、是は教へざるなり。智にして而して教へざる、功は適に息む。人をして人の衣を奪は使む、罪の或ひは軽く或ひは重く、人をして人に酒を予へ使め、或ひは厚く或ひは薄し。(周、至也。粺、毇也、細也。適、之也、猶於也。)
聞、外に在るの知らざる所なり。或ひは曰く、室に在るは之の色の是の其の色の若しと、是の智らざる所の智る所の若きなり。猶白は黒の若きなり、誰か勝さる。是の其の色の若きや、白は必ず白の若き。今や其の色の白の若くを智るなり、故に其の白きを智るなり。夫れ名は明らかなる所を以って智らざる所を正し、智らざる所を以って明らかなる所を疑はず。尺を以って智らざる所の長さを度るが若し。外、智に親しむなり、室中、智を説くなり。
以、誖るとは、可ならずなり。之の言の出入の可なれば、是は誖らず、則ち是は可なる有るなり。之の人の言は可ならずして、以って當るとせば必ず審らかならず。
惟、是の霍を謂ふは、可なり。而に猶之は夫の霍に非ずなり、彼は是是なりと謂ふは、可ならず。謂ふは其の謂ふに惟すは毋し。彼は猶其の謂ふに惟さば、則ち吾が謂ふは行はれず。彼の若し其の謂ふを惟さずば、則ち行はず。(惟、爲也、有也。)
無、南の窮まり有れば則ち盡くす可し、窮まり無くば則ち盡す可からず。窮まり有ると窮まり無きと未だ智る可からず、則ち盡す可しと盡す可からずは盡すべからずを未だ智る可からず。人の之を盈すと否と未だ智る可からず、而して必ず人の盡す可きと盡す可からずと亦た未だ智る可からず、而に必ず人の盡く愛す可しなり。
誖、人の若し先ず窮まり盈さざれば、則ち人は窮まり有るなり、窮まり有るを盡すこと難は無し。窮まり無きを盈せば、則ち窮まり無きを盡すなり、窮まり有りを盡すこと難は無し。
不、二ちて其の數を智り、悪むぞ民の文を盡く愛するを智らむ。或いは遺るや。其の問ふや盡く人を問はば、則ち盡く其の問ふ所を愛す。若し其の數を智らずして而に之の文を盡く愛するを智るは、難は無し。(數、計也、責也。文、猶美也、善也。)
仁、仁は、愛なり、義は、利なり。愛利は、此なり、愛する所と利する所、彼なり。愛利は内外を相為さず、愛利する所は亦た内外に相為さず。其の仁は内に、義は外にと為し、愛と利する所を挙ぐるは、是は狂挙なり。左の目より出で、右の目に入るが若きなり。
学、学の益は無きを知らずと為すを以って、故に之を告ぐ。是の学の益は無きを智ら使むなり、是は教ふるなり。学を以って益は無しと為すなり。教ふるは、誖る。
誹を論ずるに誹の可と不可を以って理とし、之の可と誹との、誹の多しと雖も、其の誹は是なり。其の理の誹は可ならず、誹の少なしと雖も、非なり。今、誹の多しと謂ふは可ならず、是は猶長を以って短を論ずるがごとし。
不、誹は非とするは、己の誹なり。誹を非とせずは、非す可きは非ざるなり、非とす可からずなり。是は誹を非とせざるなり。
物、甚だ長し、甚だ短し、是より長きは莫く、是より短きは莫し。是は之の是なり、是に非ざるものは、是より甚だしきは莫し。
取、高下の善と不善を以って度と為し、山澤の若くならず。下に處るに上に處るより善く、下は所請上なり。(善、大也。猶多也。度,丈尺也、法制也。上、對下之稱、尊也。)
是ならず、是は則ち是にして且た是なり。今、是は是において文ならずて而に是においてならず、故に是は之を是とせず。文ならずは則ち是にして而ち文ならず。今、是の是において文にして而に文と是なり、故に文と是は文ならずも同じと説くなり。(文、猶美也、善也。)
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