墨子 巻三 尚同中

 

《尚同中》

子墨子曰、方今之時、復古之民始生、未有正長之時、蓋其語曰天下之人異義。是以一人一義、十人十義、百人百義、其人數茲衆、其所謂義者亦茲衆。是以人是其義、而非人之義、故相交非也。内之父子兄弟作怨讐、皆有離散之心、不能相和合。至乎舍餘力不以相労、隱匿良道不以相教、腐臭餘財不以相分、天下之乱也、至如禽獣然、無君臣上下長幼之節、父子兄弟之禮、是以天下乱焉。

明乎民之無正長以一同天下之義、而天下乱也。是故選擇天下賢良聖知辯慧之人、立以為天子、使従事乎一同天下之義。天子既以立矣、以為唯其耳目之請、不能獨一同天下之義、是故選擇天下賛閲賢良聖知辯慧之人、置以為三公、與従事乎一同天下之義。天子三公既已立矣、以為天下博大、山林遠土之民、不可得而一也、是故靡分天下、設以為萬諸侯國君、使従事乎一同其國之義。國君既已立矣、又以為唯其耳目之請、不能一同其國之義、是故擇其國之賢者、置以為左右将軍大夫、以遠至乎里之長與従事乎一同其國之義

天子諸侯之君、民之正長、既已定矣、天子為発政施教曰、凡聞見善者、必以告其上、聞見不善者、亦必以告其上。上之所是、必亦是之、上之所非、必亦非之、已有善傍薦之、上有過規諫之。尚同義其上、而毋有下比之心、上得則賞之、萬民聞則誉之。意若聞見善、不以告其上、聞見不善、亦不以告其上、上之所是不能是、上之所非不能非、己有善不能傍薦之、上有過不能規諫之、下比而非其上者、上得則誅罰之、萬民聞則非毀之。故古者聖王之為刑政賞誉也、甚明察以審信。

是以挙天下之人、皆欲得上之賞誉、而畏上之毀罰。是故里長順天子政、而一同其里之義。里長既同其里之義、率其里之萬民、以尚同乎長、曰、凡里之萬民、皆尚同乎長、而不敢下比。長之所是、必亦是之、長之所非、必亦非之。去而不善言、学長之善言、去而不善行、学長之善行。長固之賢者也、挙人以法長、何説而不治哉。察長之所以治者何故之以也。曰唯以其能一同其之義、是以

長治、而既已治矣、有率其萬民、以尚同乎國君、曰、凡之萬民、皆上同乎國君、而不敢下比。國君之所是、必亦是之、國君之所非、必亦非之。去而不善言、学國君之善言、去而不善行、学國君之善行。國君固國之賢者也、挙國人以法國君、夫國何説而不治哉。察國君之所以治國、而國治者、何故之以也。曰唯以其能一同其國之義、是以國治

國君治其國、而國既已治矣、有率其國之萬民、以尚同乎天子、曰、凡國之萬民上同乎天子、而不敢下比。天子之所是、必亦是之、天子之所非、必亦非之。去而不善言、学天子之善言、去而不善行、学天子之善行。天子者、固天下之仁人也、挙天下之萬民以法天子、夫天下何説而不治哉。察天子之所以治天下者、何故之以也。曰唯以其能一同天下之義、是以天下治。

夫既尚同乎天子、而未上同乎天者、則天菑将猶未止也。故當若天降寒熱不節、雪霜雨露不時、五穀不孰、六畜不遂、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻而至者、此天之降罰也、将以罰下人之不尚同乎天者也。故古者聖王、明天鬼之所欲、而避天鬼之所憎、以求興天下之利、除天下之害。是以率天下之萬民、齊戒沐浴、潔為酒醴粢盛、以祭祀天鬼。其事鬼神也、酒醴粢盛不敢不蠲潔、犧牲不敢不腯肥、珪璧幣帛不敢不中度量、春秋祭祀不敢失時幾、聴獄不敢不中、分財不敢不均、居處不敢怠慢。曰其為正長若此、是故上者天鬼有厚乎其為政長也、下者萬民有便利乎其為政長也。天鬼之所深厚而彊従事焉、則天鬼之福可得也。萬民之所便利而能彊従事焉、則萬民之親可得也。其為政若此、是以謀事、挙事成、入守固、出誅勝者、何故之以也。曰唯以尚同為政者也。故古者聖王之為政若此。

今天下之人曰、方今之時、天下之正長猶未廃乎天下也、而天下之所以乱者、何故之以也。子墨子曰、方今之時之以正長、則本與古者異矣、譬之若有苗之以五刑然。昔者聖王制為五刑、以治天下、逮至有苗之制五刑、以乱天下。則此豈刑不善哉。用刑則不善也。是以先王之書呂刑之道曰、苗民否用練折則刑、唯作五殺之刑、曰法。則此言善用刑者以治民、不善用刑者以為五殺、則此豈刑不善哉。用刑則不善。故遂以為五殺。是以先王之書術令之道曰、唯口出好興戎。則此言善用口者出好、不善用口者以為讒賊寇戎。則此豈口不善哉。用口則不善也、故遂以為讒賊寇戎。

故古者之置正長也、将以治民也、譬之若絲縷之有紀、而罔罟之有綱也、将以運役天下淫暴、而一同其義也。是以先王之書、《相年》之道曰、夫建國設都、乃作后王君公、否用泰也、軽大夫師長、否用佚也、維辯使治天均。則此語古者上帝鬼神之建設國都、立正長也、非高其爵、厚其禄、富貴佚而錯之也、将以為萬民興利除害、富貴貧寡、安危治乱也。故古者聖王之為若此。

今王公大人之為刑政則反此。政以為便譬、宗於父兄故舊、以為左右、置以為正長。民知上置正長之非正以治民也、是以皆比周隱匿、而莫肯尚同其上。是故上下不同義。若苟上下不同義、賞誉不足以勧善、而刑罰不足以沮暴。何以知其然也。

曰、上唯毋立而為政乎國家、為民正長、曰、人可賞吾、将賞之。若苟上下不同義、上之所賞、則衆之所非、曰人衆與處、於衆得非。則是雖使得上之賞、未足以勧乎。上唯毋立而為政乎國家、為民正長、曰、人可罰、吾将罰之。若苟上下不同義、上之所罰、則衆之所誉。曰人衆與處、於衆得誉、則是雖使得上之罰、未足以沮乎。若立而為政乎國家、為民正長、賞誉不足以勧善、而刑罰不可以沮暴、則是不與吾本言民始生未有正長之時同乎。若有正長與無正長之時同、則此非所以治民一衆之道

故古者聖王唯而審以尚同、以為正長、是故上下情請為通。上有隱事遺利、下得而利之、下有蓄怨積害、上得而除之。是以數千萬里之外、有為善者、其室人未遍知、里未遍聞、天子得而賞之。數千萬里之外、有為不善者、其室人未遍知、里未遍聞、天子得而罰之。是以挙天下之人皆恐懼振動惕慄、不敢為淫暴、曰、天子之視聴也神。先王之言曰、非神也、夫唯能使人之耳目助己視聴、使人之吻助己言談、使人之心助己思慮、使人之股肱助己動作。助之視聴者衆、則其所聞見者遠矣、助之言談者衆、則其德音之所撫循者博矣、助之思慮者衆、則其談謀度速得矣、助之動作者衆、即其挙事速成矣。故古者聖人之所以濟事成功、垂名於後世者、無他故異物焉、曰唯能以尚同為政者也。

是以先王之書《周頌》之道之曰、載来見彼王、聿求厥章。則此語古者國君諸侯之以春秋来朝聘天子之廷、受天子之厳教、退而治國、政之所加、莫敢不賓。當此之時、本無有敢紛天子之教者。《詩》曰、我馬維駱、六轡沃若、載馳載驅、周爰咨度。又曰、我馬維騏、六轡若絲、載馳載驅、周爰咨謀。即此語也。古者國君諸侯之聞見善與不善也、皆馳驅以告天子、是以賞當賢、罰當暴、不殺不辜、不失有罪、則此尚同之功也。

是故子墨子曰、今天下之王公大人士君子、請将欲富其國家、衆其人民、治其刑政、定其社稷、當若尚同之不可不察、此之本也。

 

字典を使用するときに注意すべき文字

道、言也。                         いう、の意あり。

郷、向也                             さきの、むかい、の意あり。

載、又始也。又則也。        はじめて、又、すなはち、の意あり。

貧、財分少也。                  転じて、すくなくす、の意あり。

聿、惟也。                         これ、ここ、の意あり。

時、也、伺也。               これ、ここ、の意あり。

 

 

《尚同中》

子墨子の曰く、今、之の時に(あた)りて、古の民の始めて生れるに、未だ正長(せいちょう)有らざる時に(かへ)るに、(けだ)し其の(ことば)に曰く、天下の人は義を異にすると。是を以って一人に一義、十人に十義、百人に百義、其の人數が(ますま)(おお)ければ、其の所謂(いわゆる)義なるものは亦た(ますま)(おお)し。是の人を以って其の義を()とし、而して人の義を非とし、故に(あい)(こもご)も非となる。内に之は父子兄弟に怨讐(おんしゅう)を作り、皆に離散(りさん)の心有りて、(あい)和合(わごう)すること能はず。餘力(よりょく)(すて)てて以って(あい)(ろう)せず、良道(りょうどう)隱匿(いんとく)して以って相教へず、餘財(よざい)腐臭(ふしゅう)すれども以って(あい)(わか)たざるに至りて、天下は乱るる。禽獣(きんじゅう)の如く然るに至り、君臣上下長幼の(せつ)、父子兄弟の(れい)は無く、是を以って天下は乱るるなり。

民の正長(せいちょう)を以って天下の義を一同すること無く、而して天下の乱るるを明らかにす。是の故に天下の賢良(けんりょう)聖知(せいち)辯慧(べんけい)の人を選擇(せんたく)し、立てて以って天子と為し、天下の義を一同することに従事せ使むる。天子は既に以って立つ、以為(おも)へらく(ただ)其の耳目の(しょう)、獨り天下の義を一同すること能はずと、是の故に天下の賛閲(さんえつ)賢良(けんりょう)聖知(せいち)辯慧(べんけい)の人を選擇(せんたく)し、置きて以って三公と為し、與に天下の義を一同することに従事す。天子三公は既已(すで)に立つ、以為(おも)へらく天下は博大、山林遠土の民、得て而して一にす可からずなり。是の故に天下を靡分(びぶん)し、設けて以って萬の諸侯國君と為し、其の國の義を一同することに従事せ使む。國君は既已(すで)に立つ、又た以為(おも)へらく(ただ)其の耳目の(しょう)、其の國の義を一同すること能はず。是の故に其の國の賢者を(えら)び、置きて以って左右将軍大夫と為し、以って遠く里の長に至るまで(とも)に其の國の義を一同することに従事す

天子、諸侯の君、民の正長(せいちょう)既已(すで)に定まり、天子、(ため)に政を発し(のり)を施して曰く、凡そ善を聞見(ぶんけん)する者は、必ず以って其の上に告げよ、不善(ふぜん)聞見(ぶんけん)する者は、亦た必ず以って其の上に告げよ。上の是とする所、必ず亦た之を()とし、上の()とする所、必ず亦た之を非とす、(すで)(ぜん)()らば之を傍薦(ぼうせん)し、上に(あやまち)()らば之を規諫(きかん)せよ。義は其の上に尚同(しょうどう)し、而して下比(かひ)(批)の心有ること()かれ、上は得て則ち之を賞し、萬民は聞きて則ち之を誉めむ。(おも)ふに()し善を聞見(ぶんけん)し、以って其の上に告げず、不善を聞見(ぶんけん)し、亦た以って其の上に告げずは、上の()とする所を()とすること(あた)はず、上の()とする所を()とすること(あた)はず、(すで)に善あるも之を傍薦(ぼうせん)すること能はず、上の(あやまち)()るもこれを規諫(きかん)すること(あた)はずして、下の比(批)にして()た其の上を()とする者を、上は得て則ち之を誅罰(ちゅうばつ)し、萬民は聞きて則ち之を非毀(ひき)す。故に古の聖王は刑政(けいせい)賞誉(しょうよ)を為すや、甚だ明察(めいさつ)にして以って審信(しんしん)なり。

是を以って天下の人を挙げ、皆が上の賞誉(しょうよ)を得ることを欲し、()た上の毀罰(きばつ)(おそ)る。是の故に里長は天子の(まつりごと)(したが)ひ、而して其の里の義を一同す。里長は既に其の里の義を同じくし、其の里の萬民を率いて、以って長に尚同(しょうどう)して、曰く、凡そ里の萬民の、皆は長に尚同(しょうどう)し、而して(あへ)へて下比(かひ)せず。長の()とする所、必ず亦た之を()とし、長の()とする所、必ず亦た之を()とす。(なんじ)の不善の(ことば)を去りて、長の善言(ぜんげん)に学び、(なんじ)の不善の(こう)を去りて、長の善行(ぜんこう)を学べ。長は(もと)よりの賢者なり、人を挙げて以って長に(のつ)とらば、夫れ郷は何の説ありて而して治まらずや。長の郷を治める所以(ゆえん)のものを察するに何の故を以ってするや。曰く、(ただ)()()く其のの義を一同するを以って、是を以って郷は治まる

長の其の郷を治め、而して郷は既已(すで)に治まり、有りて其の郷の萬民を率いて、以って國君に尚同(しょうどう)して、曰く、凡その萬民は、皆國君に上同(じょうどう)して、而して(あへ)へて下比(かひ)せず。國君の()とする所、必ず亦た之を()とし、國君の()とする所、必ず亦た之を()とす。(なんじ)の不善の(ことば)を去り、國君の善言(ぜんげん)に学び、(なんじ)の不善の行を去り、國君の善行(ぜんこう)に学べ。國君は(もと)より國の賢者なり、國の人を挙げて以って國君に(のつ)とらば、夫れ國は何の説くをもって()た治まらずや。國君の國を治める所以(ゆえん)を察し、して國を治めるは、何の故を以ってするや。曰く、(ただ)()()く其の國の義を一同(いちどう)するを以って、是を以って國は治まる

國君が其の國を治め、而して國は既已(すで)に治めるや、有りて其の國の萬民を率いて、以って天子に尚同(しょうどう)し、曰く、凡そ國の萬民は天子に上同(じょうどう)し、而して(あへ)へて下比(かひ)せず。天子の()とする所、必ず亦た之を()とし、天子の()とする所、必ず亦た之を()とす。(なんじ)の不善の(ことば)を去り、天子の善言に学び、(なんじ)の不善の行を去り、天子の善行(ぜんこう)に学べ。天子は、(もと)より天下の仁人なり、天下の萬民を挙げて以って天子に(のつ)とらば、夫れ天下は何を説くをもって而して治らずや。天子の天下を治める所以(ゆえん)のものを(さつ)するに、何の故を以ってするや。曰く、(ただ)()()く天下の義を一同(いちどう)するを以って、(これ)を以って天下は治まる。

夫れ既に天子に尚同(しょうどう)し、而して未だ天に上同(じょうどう)せざるは、則ち(てんさい)将に(なお)(いま)だ止まずなり。故に當に天の降だせる寒熱(かんねつ)(せつ)にあらず、雪霜(せつそう)雨露(うろ)は時にあらず、五穀は(じゅく)せず、六畜は()げず、(しつさい)戾疫(れいえき)飄風(へんふう)苦雨(くう)荐臻(せんしん)して而して至たるが(ごと)きもの、此れ天の罰を(くだ)せり、将に以って下人(かじん)の天に(しょう)(どう)せずを罰せむとするものなり。故に(いにしへ)の聖王は、天鬼の欲する所を明らかにし、而して天鬼の憎くむ所を()け、以って天下の利を(おこ)し、天下の害を(のぞ)かむことを欲す。是を以って天下の萬民を率い、齊戒(さいかい)沐浴(もくよく)し、(いさぎよ)酒醴(しゅれい)粢盛(しせい)()し、以って天鬼を祭祀(さいし)す。其の鬼神に(つか)ふるや、酒醴(しゅれい)粢盛(しせい)の敢へて蠲潔(けんけつ)ならずんばあらず、犧牲(ぎせい)の敢へて腯肥(とつひ)ならずんばあらず、珪璧(けいへき)幣帛(へいはく)の敢て度量(どりょう)(あた)らずんばあらず、春秋の祭祀は敢て時幾(じき)を失はず、獄を聴くことの敢て(あた)らずんばあらず、財を分けること(あえ)(ひと)しからずはあらず、居處(きょしょ)するに敢へて怠慢(たいまん)せず。曰く、其の正長(せいちょう)()ること此の(ごと)き、是の故に上には天鬼の其の政長(せいちょう)()るを厚しとするは有り、下には萬民の其の政長(せいちょう)()るを便利とするは有り。天鬼の深厚(しんこう)する所にして而して事に従うに(つと)めて、則ち天鬼の福を得る可し。萬民の(ところ)便利(べんり)とする所にして而して()く事に従うに(つと)めて、則ち萬民の親しみは()(べく)くなり。其の(まつりごと)を為すは此の(ごと)き、是を以って事を(はか)れば、挙げて事は成る、入りて守れば(かた)く、出でて(ちゅう)すれば()つ者は、何の故を以ってする。曰く、(ただ)尚同(しょうどう)を以って(まつりごと)を為す者なり。故に(いにしへ)の聖王の(まつりごと)を為すこと此の(ごと)き。

今、天下の人の曰く、今、之の時に(あた)りて、天下の正長(せいちょう)(なお)(いま)だ天下を廃し、而して天下の以って乱るる所は、何の故を以ってするや。子墨子の曰く、今、之の時に(あた)りて正長(せいちょう)を以ってするは、則ち(もと)(いにしへ)と異なり、之を(たと)へば有苗(ゆうびょう)が五刑を以ってするの(ごと)く然り。昔の聖王は制して五刑を(つく)り、以って天下を治め、有苗(ゆうびょう)が五刑を制するに至るに(およ)びては、以って天下は乱るる。則ち此れ()に刑は不善(ふぜん)なるか。刑を用いるは則ち不善(ふぜん)なり。是を以って先王の書、呂刑(りょけい)()ひて曰く、苗民(びょうみん)(よき)を用ひず(さだ)むるに則ち(けい)あり、(ただ)五殺(ごさつ)の刑を(つく)り、(のり)と曰ふ。則ち此れ(ぜん)に刑を用いる者は以って民を治め、不善(ふぜん)に刑を用いる者は以って五殺(ごさつ)()すを言う、則ち此れ()に刑は不善(ふぜん)なるや。刑を用いるは則ち不善(ふぜん)なり。故に(つい)に以って五殺(ごさつ)を為す。是を以って先王の書の術令(じゅつれい)に之を()ひて(いわ)く、(ただ)口は(こう)を出だして(じゅう)(おこ)す。則ち此れ()く口を用いる者は(こう)を出だし、不善(ふぜん)に口を用いる者は以って讒賊(ざんぞく)寇戎(こうじゅう)()すと言う。則ち此れ()に口は不善(ふぜん)なるや。口を用いるは則ち不善(ふぜん)なり、故に(つい)に以って讒賊(ざんぞく)寇戎(こうじゅう)()す。

故に(いにしへ)の之の正長(せいちょう)を置くや、将に以って治民を治め、之を(たと)へば絲縷(しる)()有り、()罔罟(もうこ)(こう)有り、将に以って天下の淫暴(いんぼう)運役(うんえき)し、而して其の義を一同するが(ごと)し。是を以って先王の書、相年(そうねん)に之を()いて曰く、夫れ國を建て都を設けるや、乃ち后王(こうおう)君公(くんこう)()すは、(もつ)(おご)るに(あら)ざるなり、大夫師長を(かる)くするや、(もつ)(たのし)むに(あら)ざるなり、()(べん)じて天均(てんきん)を治め使()むる。則ち此の(ことば)(いにしへ)の上帝鬼神の國都を建設し、正長(せいちょう)を立てるや、其の爵を高くし、其の禄を厚くし、富貴を(いつ)して而して之を()くに非ざるなり、将に以って萬民の為に利を(おこ)し害を除き、貴を富まし()(すくな)くし、()(やす)むんじ乱を治めるなり。故に古の聖王の之を為すこと此の(ごと)き。

今、王公大人の刑政を為すや則ち此れに反す。政に便譬(べんび)、父兄故舊(こきゅう)(そう)()るを以って、以って左右と為し、置きて以って正長(せいちょう)と為す。民は上が正長(せいちょう)を置くは、以って民を治めるるに非ずを知る。是を以って皆は比周(ひしゅう)隱匿(いんとく)し、而して(あへ)て其の上に尚同(しょうどう)するは()し。是の故に上下は義に同じくせず。()(いや)くも上下の義に同じくせずば、賞誉(しょうよ)は以って善を(すす)めるに足らず、而して刑罰は以って暴を(はば)むに足らず。何を以って其の然りを知るや。曰く、上は(ただ)立ちて而して國家に(まつりごと)を為し、民の正長(せいちょう)を為して、曰く、人は(しょう)()くむば、吾は将に之を賞す。()(いや)くも上下は義を同じくせずば、上の之を(しょう)す所、則ち(しゅう)は之を()とする所にして、曰く、人は(しゅう)(とも)()る、(しゅう)に於いて()を得る。則ち是は上の之の(しょう)()使()むと(いへど)も、未だ以って(すす)めるに足らざるや。上の(ただ)立ちて而して國家に(まつりごと)を為すや、民に正長(せいちょう)を為し、曰く、人は(ばつ)()くむば、吾は将に之を罰す。()(いや)くも上下は義を同じくせずば、上の之を罰するところにするも、則ち(しゅう)は之を()む所にす。曰く、人は(しゅう)(とも)()り、(しゅう)に於いて(ほまれ)を得、則ち是れ上の之の(ばつ)()使()むと(いへど)も、未だ以って(はば)むにたらざるなり。()し立ちて而して國家に(まつりごと)を為し、民に正長(せいちょう)を為し、賞誉(しょうよ)は以って善を(すす)めるに足らず、而して刑罰は以って暴を(はば)()からず、則ち是は()きの吾の本言(ほんげん)は民の始めて生まれ未だ正長(せいちょう)は有らざる時と同じからずや。()正長(せいちょう)は有りと正長(せいちょう)は無しとの之の時が同じければ、則ち此れ民を治め(しゅう)を一にする所以(ゆえん)(みち)に非ず

故に古の聖王は(ただ)()(つまび)らかにするに尚同(しょうどう)を以ってし、以って正長(せいちょう)を為し、是の故に上下は情請(じょうしん)(つう)を為す。上に隱事(いんじ)遺利(いり)有れば、下は得て()た之を利とし、下に蓄怨(ちくおん)積害(せきがい)有れば、上は得て而して之を除く。是を以って數千萬里の外、善を為す者有るも、其の室人は未だ(あまね)く知らず、郷里(きょうり)も未だ(あまね)く聞かざるに、天子は得て而して之を賞す。數千萬里の外、不善を為す者有るも、其の室人は未だ(あまね)く知らず、郷里(きょうり)も未だ(あまね)く聞かざるに、天子は得て而して之を罰す。是を以って天下の人を挙げて皆は恐懼(きょうく)振動(しんどう)惕慄(てきりつ)し、敢て淫暴(いんぼう)を為さず、曰く、天子の視聴(しちょう)や神なり。先王は之を言いて曰く、神に非ざるや、夫れ(ただ)()く人の耳目(じもく)をして(おのれ)視聴(しちょう)を助け使()め、人の(ふん)をして己の言談(げんだん)を助け使()め、人の心をして(おのれ)の思慮を助け使()め、人の股肱(ここう)をして(おのれ)の動作を助け使()めむ。之の視聴(しちょう)を助くる者の(おお)ければ、則ち其の聞見(ぶんけん)する者の所は遠く、之の言談(げんだん)を助くる者の(おお)ければ、則ち其の德音(とくおと)撫循(ぶじゅん)する所の者は(ひろ)く、之の思慮を助くる者の(おお)ければ、則ち其の談謀(だんぼう)(はか)るを速やかに()、之の動作を助くる者の(おお)ければ、即ち其の挙事(きょじ)は速やかに成る。故に古の聖人は事を()し功を()し、後世に名を()るる所以(ゆえん)のものは、他故(たこ)異物(いぶつ)は無し、曰く、(ただ)()尚同(しょうどう)を以って(まつりごと)を為すものなり。

是を以って先王の書、周頌(しうしょう)の之を()いて曰く、(はじめ)()の王に来見(らいけん)し、(ここ)()(しょう)を求む。則ち此れ(いにしへ)の國君諸侯の春秋を以って来朝(らいちょう)し、天子の(てい)(へい)し、天子の厳教(げんきょう)を受け、退()きて而して國を治め、(まつりごと)を加へる所、敢て(ひん)せざること()きを語る。(まさ)に此の時、(もと)に敢て天子は教を(みだ)す者の有るは無きとす。詩に曰く、我が馬()(らく)六轡(ろくひょく)沃若(くじゃく)(すなは)()(すなは)()く、(あまね)(ここ)咨度(したく)す。又た曰く、我が馬()()六轡(ろくひ)(いと)(ごと)し、(すなは)()(すなは)()く、(あまね)(ここ)咨謀(したく)す。即ち此の(ことば)なり。(いにしへ)の國君諸侯が(ぜん)(とも)不善(ふぜん)聞見(ぶんけん)するや、皆は馳驅(ちく)して以って天子に告げ、是を以って(まさ)に賢に賞をなし、(まさ)に暴に罰をなし、不辜(ふこ)を殺さず、有罪(ゆうざい)を失はず、則ち此れ尚同(しょうどう)の功なり。

是の故に子墨子は曰く、今、天下の王公大人士君子、(まこと)に将に其の國家を富まし、其の人民を(おお)くし、其の刑政は治まり、其の社稷の定まるを欲し、(まさ)(かくのごと)尚同(しょうどう)の之を察せざる可からず、此れ之を(もと)とすべし。

 

 

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