墨子 巻十一 耕柱

《耕柱》

子墨子怒耕柱子、耕柱子曰、我毋於人乎。子墨子曰、我将上大行、駕驥與羊、子将誰敺。耕柱子曰、将敺驥也。子墨子曰、何故敺驥也。耕柱子曰、驥足以責。子墨子曰、我亦以子為足以責。

巫馬子謂子墨子曰、鬼神孰與聖人明智。子墨子曰、鬼神之明智於聖人、猶聰耳明目之與聾瞽也。昔者夏后開使蜚廉折金於山川、而陶鑄之於昆吾、是使翁難雉乙卜於白若之龜、曰、鼎成三足而方、不炊而自烹、不挙而自藏、不遷而自行、以祭於昆吾之虛、上。乙又言兆之由曰、饗矣。逢逢白雲、一南一北、一西一東、九鼎既成、遷於三國。夏后氏失之、殷人受之、殷人失之、周人受之。夏后、殷、周之相受也。數百歳矣。使聖人聚其良臣與其桀相而謀、豈能智數百歳之後哉。而鬼神智之。是故曰、鬼神之明智於聖人也、猶聰耳明目之與聾瞽也。

治徒娛、縣子碩問於子墨子曰、為義孰為大務。子墨子曰、譬若築牆然、能築者築、能實壤者實壤、能欣者欣、然後牆成也。為義猶是也。能談辯者談辯、能説書者説書、能従事者従事、然後義事成也。

巫馬子謂子墨子曰、子兼愛天下、未云利也、我不愛天下、未云賊也。功皆未至、子何獨自是而非我哉。子墨子曰、今有燎者於此、一人奉水将灌之、一人摻火将益之、功皆未至、子何貴於二人。巫馬子曰、我是彼奉水者之意、而非夫摻火者之意。子墨子曰、吾亦是吾意、而非子之意也。

子墨子游荊耕柱子於楚、二三子過之、食之三升、客之不厚。二三子復於子墨子曰、耕柱子處楚無益矣。二三子過之、食之三升、客之不厚。子墨子曰、未可智也。毋幾何而遺十金於子墨子、曰、後生不敢死、有十金於此、願夫子之用也。子墨子曰、果未可智也。

巫馬子謂子墨子曰、子之為義也、人不見而助、鬼不見而富、而子為之、有狂疾。子墨子曰、今使子有二臣於此、其一人者見子従事、不見子則不従事、其一人者見子亦従事、不見子亦従事、子誰貴於此二人。巫馬子曰、我貴其見我亦従事、不見我亦従事者。子墨子曰、然則、是子亦貴有狂疾也。

子夏子徒問於子墨子曰、君子有門乎。子墨子曰、君子無門。子夏之徒曰、狗豨猶有門、悪有士而無門矣。子墨子曰、傷矣哉。言則稱於湯文、行則譬於狗豨、傷矣哉。

巫馬子謂子墨子曰、舍今之人而誉先王、是誉槁骨也。譬若匠人然、智槁木也、而不智生木。子墨子曰、天下之所以生者、以先王之道教也。今誉先王、是誉天下之所以生也。可誉而不誉、非仁也。子墨子曰、和氏之璧、隋侯之珠、三棘六異、此諸侯之所謂良寶也。可以富國家、衆人民、治刑政、安社稷乎。曰不可。所謂貴良寶者、為其可以利也。而和氏之璧、隋侯之珠、三棘六異不可以利人、是非天下之良寶也。今用義為政於國家、人民必衆、刑政必治、社稷必安。所為貴良寶者、可以利民也、而義可以利人、故曰、義天下之良寶也。

葉公子高問政於仲尼曰、善為政者若之何。仲尼對曰、善為政者、遠者近之、而舊者新之。子墨子聞之曰、葉公子高未得其問也、仲尼亦未得其所以對也。葉公子高豈不知善為政者之遠者近也、而舊者新是哉。問所以為之若之何也。不以人之所不智告人、以所智告之、故葉公子高未得其問也、仲尼亦未得其所以對也。

子墨子謂魯陽文君曰、大國之攻小國、譬猶童子之為馬也。童子之為馬、足用而労。今大國之攻小國也、攻者農夫不得耕、婦人不得織、以守為事、攻人者、亦農夫不得耕、婦人不得織、以攻為事。故大國之攻小國也、譬猶童子之為馬也。

子墨子曰、言足以復行者、常之、不足以挙行者、勿常。不足以挙行而常之、是蕩口也。

子墨子使管黔敖游高石子於衛、衛君致禄甚厚、設之於卿。高石子三朝必盡言、而言無行者。去而之齊、見子墨子曰、衛君以夫子之故、致禄甚厚、設我於卿。石三朝必盡言、而言無行、是以去之也。衛君無乃以石為狂乎。子墨子曰、去之苟道、受狂何傷。古者周公旦非関叔、辭三公東處於商蓋、人皆謂之狂。後世稱其德、揚其名、至今不息。且翟聞之為義非避毀就誉、去之苟道、受狂何傷。高石子曰、石去之、焉敢不道也。昔者夫子有言曰、天下無道、仁士不處厚焉。今衛君無道、而貪其禄爵、則是我為苟啗人食也。子墨子説、而召子禽子曰、姑聴此乎。夫倍義而禄者、我常聞之矣。倍禄而義者、於高石子焉見之也。

子墨子曰、世俗之君子、貧而謂之富、則怒、無義而謂之有義、則喜。豈不悖哉。

公孟子曰、先人有則三而已矣。子墨子曰、孰先人而曰有則三而已矣。子未智人之先有。

後生有反子墨子而反者、我豈有罪哉。吾反後。子墨子曰、是猶三軍北、失後之人求賞也。

公孟子曰、君子不作、術而已。子墨子曰、不然、人之其不君子者、古之善者不誅、今也善者不作。其次不君子者、古之善者不遂、己有善則作之、欲善之自己出也。今誅而不作、是無所異於不好遂而作者矣。吾以為古之善者則誅之、今之善者則作之、欲善之益多也。

巫馬子謂子墨子曰、我與子異、我不能兼愛。我愛鄒人於越人、愛魯人於鄒人、愛我人於魯人、愛我家人於人、愛我親於我家人、愛我身於吾親、以為近我也。撃我則疾、撃彼則不疾於我、我何故疾者之不拂、而不疾者之拂。故有我有殺彼以我、無殺我以利。子墨子曰、子之義将匿邪、意将以告人乎。巫馬子曰、我何故匿我義。吾将以告人。子墨子曰、然則、一人説子、一人欲殺子以利己、十人説子、十人欲殺子以利己、天下説子、天下欲殺子以利己。一人不説子、一人欲殺子、以子為施不祥言者也、十人不説子、十人欲殺子、以子為施不祥言者也、天下不説子、天下欲殺子、以子為施不祥言者也。説子亦欲殺子、不説子亦欲殺子、是所謂経者口也、殺常之身者也。子墨子曰、子之言悪利也。若無所利而不言、是蕩口也。

子墨子謂魯陽文君曰、今有一人於此、羊牛犓豢、維人但割而和之、食之不可勝食也。見人之作餅、則還然竊之、曰、舍余食。不知日月安不足乎、其有竊疾乎。魯陽文君曰、有竊疾也。子墨子曰、楚四竟之田、曠蕪而不可勝辟、謼虛數千、不可勝、見宋、鄭之閒邑、則還然竊之、此與彼異乎。魯陽文君曰、是猶彼也、實有竊疾也。

子墨子曰、季孫紹與孟伯常治魯國之政、不能相信、而祝於叢社、曰、苟使我和。是猶弇其目、而祝於叢社曰、苟使我皆視。豈不繆哉。

子墨子謂駱滑氂曰、吾聞子好勇。駱滑氂曰、然、我聞其有勇士焉、吾必従而殺之。子墨子曰、天下莫不欲與其所好、度其所悪。今子聞其有勇士焉、必従而殺之、是非好勇也、是悪勇也。

 

字典を使用するときに注意すべき文字

責、任也、求也。               まかせる、の意あり。

難、責也、猶求也。           とる、つかまえる、の意あり。

虚、大丘也、丘謂之虛        おか、の意あり。

饗、享也、祫祭也。           うける、転じて、てんしになる、の意あり。

云、旋也、又運也。           めぐらす、もとにもどす、の意あり。

以、又因也。又用也。        よりて、もちいて、の意あり。

誅、責也、猶求也。           もとむ、の意あり。

次、處也、舍也。               ところ、の意あり。

門、聞也、聴也。               きく、さとる、の意あり。

説、論也、訓也。               さとす、の意あり。

従、逐也。                         おう、おいはらう、の意あり。

 

 

《耕柱》

子墨子は耕柱子を(しか)る、耕柱子の曰く、(おのれ)人において(すさ)ること()きか。子墨子の曰く、(おのれ)は将に大行に(のぼ)らむとす、(りょうば)(ひつじ)とを()るに、子は将に誰かを(かりたて)とするか。耕柱子の曰く、将に(りょうば)(かりたて)とするなり。子墨子の曰く、何の(ゆえ)に驥を敺るとするや。耕柱子の曰く、驥は以って(まか)せるに足る。子墨子の曰、(われ)()た以って()の足るを為すを以って(まか)せむ。

巫馬子の子墨子に謂いて曰く、鬼神は聖人の明と智の(いず)れに()けると。子墨子の曰く、鬼神の聖人に於いて明と智なるは、(なお)聰耳(そうじ)明目(めいもく)聾瞽(ろうこ)()けるがごとし。昔は夏后開は蜚廉(ひれん)をして金を山川に於いて()らしめ、()た陶に昆吾(こんご)に於いて之を()らしめ、(ここ)に翁をして雉を()らしめ、()白若(はくじゃく)の龜に(ぼく)せむ、曰く、(かなえ)は三足に()()(のり)(かし)がずして而して自ら()え、挙げずして(しかる)に自ら(おさま)り、(うつ)さずして而に自から行き、以って昆吾(こんご)(おか)に祭る、(ねが)はくは()けよと(めばえ)にして又た(きざし)(よし)を言ひ、曰く、()けたり。逢逢(ほうほう)たる白雲、()るは南、()るは北、()るは西、()るは東、九鼎(きゅうてい)既に成り、三國に(うつ)る。夏后氏は之を(うしな)ひ、殷人は之を受け、殷人は之を失ひ、周人は之を受け。夏后、殷、周は相受くるなり。數百歳なり。聖人をして其の良臣と其の桀相(けつしょう)とを(あつ)め而して(はか)らしむるも、(あに)()く數百歳の後を()らむや。而して鬼神は之を()る。是の故に曰く、鬼神は聖人より明と智なり、(なお)聰耳(そうじ)明目(めいもく)の之の聾瞽(ろうこ)()けるがごとしなり。

治徒娛と縣子碩は墨子において問いて曰く、義を為すに(いず)れかを大務と為すや。子墨子の曰く、(たとえ)へば(しょう)を築くが(ごと)くの(しか)り、能く築く者は築き、能く(つち)(みた)す者は(つち)(みた)し、能く(かつ)ぐ者は(かつ)ぎ、然る後に(しょう)は成るなり。義を為すも(なお)(これ)なり。能く談辯(だんべん)する者は談辯し、能く書を説く者は書を説き、()く事に従う者は事に従い、然る後に義の事は成なり。

巫馬子が子墨子に謂いて曰く、子は天下を兼愛すれども、未だ利するを(めぐら)せず、我は天下を愛せずも、未だ(そこな)うを(めぐら)せず。功は皆未だ(いた)らざるに、子は何ぞ(ひと)り自ら()とし而に我を非とするや。子墨子の曰く、今、此れに於いて()く者有り、()る人は水を奉じて将に之に(そそ)がむとし、()る人は火を()りて将に之を益さむとす、功は皆未だ至らず、子は二人に於いて(いず)れを(とうと)ぶか。巫馬子の曰く、我は()の水を奉する者の意を()とし、而に()の火を()る者の意を非とす。子墨子の曰く、吾も亦た吾が意を是とし、而に子の意を非とするなり。

子墨子の荊耕柱子を楚に游ばしめ、二三子の之を()ぐるに、之を()はしむこと三升、之を(きゃく)すること厚からず。二三子の子墨子に(ふく)して曰く、耕柱子の楚に()るは益無し。二三子は之を()ぎ、之を()らうこと三升、之を客すること厚からず。子墨子の曰く、未だ()()からずなり。幾何(いくばく)()くして而に十金を子墨子に(おく)りて、曰く、後生敢て死せず、此に十金有り、願はくは夫子が(もち)ひむことを。子墨子の曰く、果して未だ()()からざるなり。

巫馬子が子墨子に謂いて曰く、子は義を為すや、人は見ずて而に助け、鬼は見ずて而に富ます、而して子の之を為すは、狂疾(きょうしつ)は有るや。子墨子の曰く、今、子をして此に於いて二臣有らしめ、其の一人は子を見るに事に従い、子を見ざれば則ち事に従わず、其の一人は子を見()た事に従ひ、子を見ずも()た事に従う、子は此の二人に於いて誰か貴しや。巫馬子の曰く、我は其の我を見()た事に従い、我を見ざるも()た事に従う者を貴しとする。子墨子の曰く、然らば則ち、是は子も亦た狂疾(きょうしつ)は有るを貴ぶなり。

子夏子徒が子墨子に問いて曰く、君子に(さとる)ことは有りや。子墨子の曰く、君子に(さとる)ことは無し。子夏之徒の曰く、(くき)(なお)()くは有り、士有るを(にく)みて(しかる)()くは無しや。子墨子の曰く、(いたま)しきかな。則ち湯と文に於いて(たと)へて言うに、(こう)を則ち()に於いて(たと)えるは、(いたま)しきかな。

巫馬子が子墨子に謂いて曰く、今の人を()きて(しかる)に先王を誉めるは、是は槁骨(こうこつ)を誉めるや。譬へば匠人(しょうじん)(しか)るが(ごと)し、槁木(こうぼく)()り、(しかる)に生木を()らず。子墨子の曰く、天下の所に()りて()くる者は、先王の道の教えを(もち)ひるなり。今、先王を誉めるは、是は天下の所に()りて()くるを誉めるなり。誉む()くして而に誉めずは、仁に非らずなり。子墨子の曰く、和氏の璧、隋侯の珠、三棘(さんれき)六異(ろくよく)、此れ諸侯の謂う所の良寶(りょうほう)なり。以って國家を富ます可し、人民を(おほ)くし、刑政を治め、社稷を(やす)むず。曰く不可なり。謂う所の良寶を貴ぶ者は、其の(よう)を利する()べきを為すなり。(しかる)に和氏の璧、隋侯の珠、三棘六異は(もち)ひて人を利する()からず、是は天下の良寶に非ずなり。(いま)、義を用い國家に於いて(まつりごと)を為すは、人民は必ず(おほ)く、刑政は必ず(おさ)まり、社稷は必ず(やす)し。為す所の良寶を貴ぶは、以って民を利する()きなり、而して義は以って人を利する()し、故に曰く、義は天下の良寶なり。

葉公子高が(まつりごと)を仲尼に問ひて曰く、()(まつりごと)を為す者は之は何の(ごと)くか。仲尼の(こた)へて曰く、善く政を為す者は、遠き者は之を近づけ、()(ふる)き者は之を新たにす。子墨子が之を聞いて曰く、葉公子高は未だ其の問ふを得らずなり、仲尼も()(いま)だ其の以って對ふる所を得ずなり。葉公子高は()()(まつりごと)を為す者は遠き者は近づけ、()(ふる)き者は是を新たにすを知らざらむや。問う所の以って之を為すは之の何の(ごと)くや。人の()らざる所を以って人に告げず、()る所を以って之を告ぐ、故に葉公子高は未だ其の問ふを得ずなり、仲尼も()(いま)だ其の以って對ふる所を得ずなり。

子墨子が魯陽文君に謂いて曰く、大國の小國を攻めるは、譬へば(なお)童子が馬を(つか)ふがごとし。童子が馬を(つか)ふは、足を(たす)けて(しかる)(つかれ)る。今、大國が小國を攻めるや、攻めらるる者は農夫は(たがや)すを得ず、婦人は織るを得ず、守るを以って事と為す。人を攻める者は、()た農夫は耕すを得ず、婦人は織るを得ず、攻めるを以って事と為す。故に大國が小國を攻めるは、譬へば(なお)童子の馬と為すがごとしなり。

子墨子の曰く、(ことば)の足るを以って復た(こう)する者は、常に之をし、足らずを以って(こう)を挙ぐ者は、常にせず。足らずを以って行を挙げ而して常に之をするは、()蕩口(とうこう)なり。

子墨子が管黔敖をして高石子を衛に游ばせしむ、衛君の禄を致すこと甚しく厚く、これを卿に()く。高石子は三たび(ちょう)して必ず(ことば)(つく)すも、而に行う者無しと言う。去りて而して齊に()き、子墨子に(まみ)えて曰く、衛君の夫子の故を以って、禄を致すこと甚しく厚し、我を卿に()く。石は三たび朝し必ず言を盡すも、而に行は無しと言う、是を以って之を去るなり。衛君の(すなわ)ち石を以って狂を為すこと無からむか。子墨子の曰く、之を去るは(いや)しくも道ならば、狂を受けるも(なん)(いた)まむ。古に周公旦は関叔に非され、三公を()して東の商蓋に()る、人は皆之を狂と謂う。後の世に其の德を稱し、其の名を揚げ、今に至るも()まず。()た翟の之を聞き義を為すは(そしり)を避けるに非らず、(ほまれ)に就き、之を去るは(いや)しくも道して、狂を受けるも何ぞ(いた)まむ。高石子の曰く、石は之を去るに、(いずく)んぞ()へて道にあらずや。昔は夫子の言うこと有りて曰く、天下に道無ければ、仁士は厚に處らずと。今、衛君に道無し、而に其の禄爵を(むさぼ)るは、則ち是は(おのれ)(いや)しくも人の食を()らうを為せりなり。子墨子は(よろこ)びて、而して子禽子を召して曰く、(しばら)く此を聴け。(それ)義に(そむ)きて而に禄に(むか)う者、(おのれ)は常に之を聞け。禄に(そむ)きて而して義に(むか)う者、高石子に之を見たりなり。

子墨子の曰く、世俗の君子、(ひん)にして(しかる)に之を富むと謂うは、則ち怒る、義は無しにて而に之に義は有りと謂へば、則ち喜ぶ。()(もと)らずや。

公孟子の曰く、先人に(のり)有り、三のみと。子墨子の曰く、(たれ)か先人にして而して(のり)有り三のみと曰うや。子は未だ人の先有(せんゆう)()らず。

後生、子墨子に(そむ)きて而に(かへ)る者有り、我は(あに)罪有らむや。吾が(かへ)ること(おく)れたりと。子墨子の曰く、是は(なお)三軍の(やぶ)れ、失後(しつご)の人が賞を求むるがごとしなり。

公孟子の曰く、君子は()さず、(のぶ)るのみ。子墨子の曰く、然らず、人の其の君子にあらざる者なり。古の善者は(もと)めず、今の善者は()さず。其の君子ならざる者の(ところ)は、古の善者は(もと)めず、(おのれ)(ぜん)()らば則ち之を()し、善の己より之を出づるを欲するなり。今は(もと)めずして(しか)()さず、是は好まずして(もと)むに於いて異る所無しにして而に作す者や。吾の以為(おもへ)らく、古の善者は則ち之を(もと)め、今の善者は則ち之を()す、之の善の(ますます)多なるを欲す。

巫馬子の子墨子に謂いて曰く、我と子は異なれり、我は兼愛するは(あた)はず。我は越の人より鄒の人を愛し、鄒の人より魯の人を愛し、魯の人より我が(さと)人を愛し、郷の人より我が家人を愛し、我が家人より我が親を愛し、吾が親より我身を愛すは、以って我の近きに為すがなり。我を撃たば則ち(いた)く、彼を撃たば則ち我は(いた)からず、我は(なん)(ゆえ)(いた)きは之を(はら)わず、而して(いた)からずは之を(はら)わんや。故に我に我を以って彼を殺すこと有ること有るも、利を以って我を殺すことは無し。子墨子の曰く、子の義は将に邪を(かく)さむとし、意は将に人に告ぐを以ってするか。巫馬子の曰く、我は何ぞ故に我が義を(かく)さむ。吾は将に人に告ぐを以ってす。子墨子の曰く、然らば則ち、()る人は()(さと)すも、()る人は(おのれ)の利を以って子を殺すを欲すと、十の人は子を(さと)すも、十の人は己の利を以って子を殺すを欲すと、天下は子を(さと)すも、天下は己の利を以って子を殺すを欲すと。()る人は子を(さと)せずして、()る人は子を殺すを欲すと、子を以って不祥の(ことば)()す者と為せばなり、十人は子を(さと)せずして、十人は子を殺すを欲すと、子を以って不祥の(ことば)を施す者と為せばなり、天下は子を(さと)せずして、天下は子を殺すを欲すと、子を以って不祥の(ことば)を施す者と為せばなり。子を(さと)()た子を殺すを欲し、子を(さと)せずも()た子を殺すを欲す、是は経者(けいしゃ)の口の謂う所なり、常に之の身を殺す者なり。子墨子の曰く、子の(ことば)(いづく)むぞ利あらむ。若し利する所無ければ而に言ず、是は蕩口(とうこう)なり。

子墨子の魯陽文君に謂いて曰く、今、此に一人有り、羊牛(ようぎゅう)犓豢(すうかん)()れ人の但割(たんかつ)にして而して之を和し、之を(くら)ふも(くら)ふに()()からざるなり。人の餅を作るを見、則ち還然(かんぜん)として之を(ぬす)みて、曰く、余に食を(あた)へと。知らず日月の(いずくん)ぞ足らざるや、其れ竊疾(せつしつ)は有るか。魯陽文君の曰く、竊疾(せつしつ)は有るなり。子墨子の曰く、楚の四竟の田、曠蕪(こうぶ)にして而して勝辟(しょうへき)可からず、謼虚(こきょ)數千、()ふ可からず、宋、鄭の閒邑(かんゆう)を見れば、則ち還然(かんぜん)として之を(ぬす)む、()()と異なるか。魯陽文君の曰く、是は(なお)彼なり、實に竊疾(せつしつ)は有るなり。

子墨子の曰く、季孫紹と孟伯常は魯國の(まつりごと)を治めむも、相信ずるは(あた)はず、(しかる)叢社(そうしゃ)に祝し、曰く、(いや)しくも我をして和せしめよ。是は(なお)其の目を(おお)ひて、而に叢社に祝ひして曰く、(いや)しくも我をして皆を視せしめよと。豈に(あやま)らずや。

子墨子の駱滑氂に謂いて曰く、吾は聞く子は勇を好むと。駱滑氂の曰く、然り、我は其の郷に勇士有りと聞けば、吾は必ず(おいはら)ひて(しかる)に之を殺す。子墨子の曰く、天下の其の好む所を()して、其の(にく)む所を(すて)むを欲せざるは()し。今、子の其の郷に勇士の有るを聞けば、必ず(おいはら)ひて而に之を殺す、是は勇を好むに非ずなり、是は勇を(にく)むなり。

 

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