墨子 巻四 兼愛下
《兼愛下》
子墨子言曰、仁人之事者、必務求興天下之利、除天下之害。然當今之時、天下之害孰為大。曰、若大國之攻小國也、大家之乱小家也、強之劫弱、衆之暴寡、詐之謀愚、貴之敖賤、此天下之害也。又與為人君者之不惠也、臣者之不忠也、父者之不慈也、子者之不孝也、此又天下之害也。又與今人之賤人、執其兵刃、毒薬、水、火、以交相虧賊、此又天下之害也。
姑嘗本原若衆害之所自生、此胡自生。此自愛人利人生與。即必曰非然也、必曰従悪人賊人生。分名乎天下悪人而賊人者、兼與。別與。即必曰別也。然即之交別者、果生天下之大害者與。是故別非也。
子墨子曰、非人者必有以易之、若非人而無以易之、譬之猶以水救火也、其説将必無可焉。是故子墨子曰、兼以易別。然即兼之可以易別之故何也。曰、籍為人之國、若為其國、夫誰獨挙其國以攻人之國者哉。為彼者由為己也。為人之都、若為其都、夫誰獨挙其都以伐人之都者哉。為彼猶為己也。為人之家、若為其家、夫誰獨挙其家以乱人之家者哉。為彼猶為己也、然即國、都不相攻伐、人家不相乱賊、此天下之害與。天下之利與。即必曰天下之利也。
姑嘗本原若衆利之所自生、此胡自生。此自悪人賊人生與。即必曰非然也、必曰従愛人利人生。分名乎天下愛人而利人者、別與。兼與。即必曰兼也。然即之交兼者、果生天下之大利者與。是故子墨子曰、兼是也。且郷吾本言曰、仁人之事者、必務求興天下之利、除天下之害。今吾本原兼之所生、天下之大利者也、吾本原別之所生、天下之大害者也。是故子墨子曰、「別非而兼是者、出乎若方也。
今吾将正求與天下之利而取之、以兼為正、是以聰耳明目相與視聴乎、是以股肱畢強相為動宰乎、而有道肆相教誨。是以老而無妻子者、有所侍養以終其壽、幼弱孤童之無父母者、有所放依以長其身。今唯毋以兼為正、即若其利也、不識天下之士、所以皆聞兼而非者、其故何也。
然而天下之士非兼者之言、猶未止也。曰、即善矣。雖然、豈可用哉。子墨子曰、用而不可、雖我亦将非之。且焉有善而不可用者。姑嘗両而進之。誰以為二士、使其一士者執別、使其一士者執兼。是故別士之言曰、吾豈能為吾友之身、若為吾身、為吾友之親、若為吾親。是故退睹其友、飢即不食、寒即不衣、疾病不侍養、死喪不葬埋。別士之言若此、行若此。兼士之言不然、行亦不然、曰、吾聞為高士於天下者、必為其友之身、若為其身、為其友之親、若為其親、然後可以為高士於天下。是故退睹其友、飢則食之、寒則衣之、疾病侍養之、死喪葬埋之。兼士之言若此、行若此。若之二士者、言相非而行相反與。當使若二士者、言必信、行必果、使言行之合猶合符節也、無言而不行也。
然即敢問、今有平原廣野於此、被甲嬰冑将往戦、死生之権未可識也、又有君大夫之遠使於巴、越、齊、荊、往来及否未可識也、然即敢問、不識将悪也家室、奉承親戚、提挈妻子、而寄託之。不識於兼之有是乎。於別之有是乎。我以為當其於此也、天下無愚夫愚婦、雖非兼之人、必寄託之於兼之有是也。此言而非兼、擇即取兼、即此言行費也。不識天下之士、所以皆聞兼而非之者、其故何也。
然而天下之士非兼者之言、猶未止也。曰、意可以擇士、而不可以擇君乎。姑嘗両而進之。誰以為二君、使其一君者執兼、使其一君者執別、是故別君之言曰吾悪能為吾萬民之身、若為吾身、此泰非天下之情也。人之生乎地上之無幾何也、譬之猶駟馳而過隙也。是故退睹其萬民、飢即不食、寒即不衣、疾病不侍養、死喪不葬埋。別君之言若此、行若此。兼君之言不然、行亦不然。曰、吾聞為明君於天下者、必先萬民之身、後為其身、然後可以為明君於天下。是故退睹其萬民、飢即食之、寒即衣之、疾病侍養之、死喪葬埋之。兼君之言若此、行若此。然即交若之二君者、言相非而行相反與。常使若二君者、言必信、行必果、使言行之合猶合符節也、無言而不行也。然即敢問、今歳有癘疫、萬民多有勤苦凍餒、轉死溝壑中者、既已衆矣。不識将擇之二君者、将何従也。我以為當其於此也、天下無愚夫愚婦、雖非兼者、必従兼君是也。言而非兼、擇即取兼、此言行拂也。不識天下所以皆聞兼而非之者、其故何也。
然而天下之士非兼者之言也、猶未止也。曰、兼即仁矣義矣、雖然、豈可為哉。吾譬兼之不可為也、猶挈泰山以超江河也。故兼者直願之也、夫豈可為之物哉。子墨子曰、夫挈泰山以趙江河、自古之及今、生民而来、未嘗有也。今若夫兼相愛、交相利、此自先聖六王者親行之。何知先聖六王之親行之也。子墨子曰、吾非與之並世同時、親聞其聲、見其色也。以其所書於竹帛、鏤於金石、琢於槃盂、傳遺後世子孫者知之。泰誓曰、文王若日若月、乍照光於四方於西土。即此言文王之兼愛天下之博大也、譬之日月、兼照天下之無有私也。即此文王兼也。雖子墨子之所謂兼者、於文王取法焉。
且不唯泰誓為然、雖禹誓即亦猶是也。禹曰、濟濟有群、咸聴朕言、非惟小子、敢行稱乱、蠢茲有苗、用天之罰、若予既率爾群對諸群、以征有苗。禹之征有苗也、非以求以重富貴、干福禄、楽耳目也、以求興天下之利、除天下之害。即此禹兼也。雖子墨子之所謂兼者、於禹求焉。
且不唯禹誓為然雖湯説即亦猶是也。湯曰、惟予小子履、敢用玄牡、告於上天后曰、今天大旱、即當朕身履、未知得罪于上下、有善不敢蔽、有罪不敢赦、簡在帝心。萬方有罪、即當朕身、朕身有罪、無及萬方。即此言湯貴為天子、富有天下、然且不憚以身為犧牲、以祠説于上帝鬼神。即此湯兼也。雖子墨子之所謂兼者、於湯取法焉。
且不惟誓命與湯説為然、周詩即亦猶是也。周詩曰、王道蕩蕩、不偏不黨、王道平平、不黨不偏。其直若矢、其易若厎、君子之所履、小人之所視、若吾言非語道之謂也、古者文武為正、均分賞賢罰暴、勿有親戚弟兄之所阿。即此文武兼也。雖子墨子之所謂兼者、於文武取法焉。不識天下之人、所以皆聞兼而非之者、其故何也。
然而天下之非兼者之言、猶未止、曰、意不忠親之利、而害為孝乎。子墨子曰、姑嘗本原之孝子之為親度者。吾不識孝子之為親度者、亦欲人愛利其親與。意欲人之悪賊其親與。以説観之、即欲人之愛利其親也。然即吾悪先従事即得此。若我先従事乎愛利人之親、然後人報我愛利吾親乎。意我先従事乎悪人之親、然後人報我以愛利吾親乎。即必吾先従事乎愛利人之親、然後人報我以愛利吾親也。然即之交孝子者、果不得已乎、毋先従事愛利人之親者與。意以天下之孝子為遇而不足以為正乎。姑嘗本原之先王之所書、大雅之所道曰、無言而不讐、無德而不報、投我以桃、報之以李。即此言愛人者必見愛也、而悪人者必見悪也。不識天下之士、所以皆聞兼而非之者、其故何也。
意以為難而不可為邪。嘗有難此而可為者。昔荊靈王好小要、當靈王之身、荊國之士飯不踰乎一、固據而後興、扶垣而後行。故約食為其難為也、然後為而靈王説之、未踰於世而民可移也、即求以郷其上也。昔者越王句踐好勇、教其士臣三年、以其知為未足以知之也、焚舟失火、鼓而進之、其士偃前列、伏水火而死、有不可勝數也。當此之時、不鼓而退也、越國之士可謂顫矣。故焚身為其難為也、然後為之越王説之、未踰於世而民可移也、即求以郷上也。昔者晋文公好苴服、當文公之時、晋國之士、大布之衣、牂羊之裘、練帛之冠、且苴之屨、入見文公、出以踐之朝。故苴服為其難為也、然後為而文公説之、未踰於世而民可移也、即求以郷其上也。是故約食、焚舟、苴服、此天下之至難為也、然後為而上説之、未踰於世而民可移也。何故也。即求以郷其上也。今若夫兼相愛、交相利、此其有利且易為也、不可勝計也、我以為則無有上説之者而已矣。苟有上説之者、勧之以賞誉、威之以刑罰、我以為人之於就兼相愛交相利也、譬之猶火之就上、水之就下也、不可防止於天下。
故兼者聖王之道也、王公大人之所以安也、萬民衣食之所以足也。故君子莫若審兼而務行之、為人君必惠、為人臣必忠、為人父必慈、為人子必孝、為人兄必友、為人弟必悌。故君子莫若欲為惠君、忠臣、慈父、孝子、友兄、悌弟、當若兼之不可不行也、此聖王之道而萬民之大利也。
字典を使用するときに注意すべき文字
拂、逆也。猶佹也 もとれる、の意あり。
費、猶佹也。 もとれる、の意あり。
姑、且也。息、休也。 しばらく、すなはち、の用法あり。
胡、何也。也。者也。 なんぞ、いづくに、の用法あり。
泰、又甚也。又侈也 はなはだ、の意あり。
説、喜也、樂也、服也。 よろこぶ、の意ある。
《兼愛下》
子墨子の言いて曰く、仁なる人の事は、必ず務めて天下の利を興すを求め、天下の害を除く。然らば、今、之の時に當り、天下の害の孰れか大と為す。曰く、大國は小國を攻め、大家は小家を乱し、強は弱を劫し、衆は寡を暴ひ、詐は愚を謀り、貴は賤に敖るが若き、此れ天下の害なり。又た人君為る者の不惠なると、臣者の不忠なると、父者の不慈なると、子者の不孝なると、此れ又た天下の害なり。又た、今、人の人を賤め、其の兵刃毒薬水火を執り以って交も相虧賊するが與き、此れ又た天下の害なり。
姑く嘗みに若く衆害の自から生ずる所を本原するに、此れ胡に自り生ずや。此れ人を愛し人を利する自り生ずるか。即ち必ず然か非ずと曰い、必ず人を悪み人を賊う従り生ずと曰う。天下の人を悪み而して人を賊う者を分名するに、兼なるか。別なるか。即ち必ず別なりと曰うなり。然らば即ち之の交も別つ者は、果して天下の大害を生む者か。是の故に別は非なりと。
子墨子の曰く、人を非とする者は必ず以って之を易ふるは有り、若し人を非として而して以って之を易ふるの無ければ、之を譬へれば猶水を以って火を救うがごとしなり、其の説の将に必ず可なること無からむ。是の故に子墨子の曰く、兼の以って別に易ふと。然らば即ち兼の以って別に易ふる可き之の故は何ぞや。曰く、籍し人の國の為になすは、其の國の為になすが若くならば、夫れ誰か獨り其の國を挙げて以って人の國を攻める者あらむや。彼の為になす者は由に己の為にするなり。人の都の為になすは、其の都の為になすが若くならば、夫れ誰か獨り其の都を挙げて以って人の都を伐つ者あらむや。彼の為すは猶己の為なり。人の家の為になすは、其の家の為になすが若くならば、夫れ誰か獨り其の家を挙げて以って人の家を乱す者あらむや。彼の為すは猶己の為なり、然らば即ち國、都は相攻伐せず、人の家は相乱賊せず、此れ天下の害なるか。天下の利なるか。即ち必ず天下の利と曰はむ。
姑く嘗みに若き衆利の自から生ずる所を本原するに、此れ胡に自り生ずや。此れ人を悪み人を賊う自り生ずるか。即ち必ず然か非らずと曰うなり、必ず人を愛し人を利する従り生ずると曰う。天下の人を愛し而して人を利する者を分名するに、別なるか。兼なるか。即ち必ず兼なりと曰うなり。然らば即ち之を交も兼をなす者は、果して天下の大利を生む者か。是の故に子墨子の曰く、兼は是なり。且に郷の吾の本言に曰く、人の仁なる事は、必ず務めて天下の利を興し求め、天下の害を除く。今、吾は兼の生じる所を本原とするは、天下の大利なるものなり、吾は別の生じる所を本原とするは、天下の大害なるものなり。是の故に子墨子の曰く、別は非にして而して兼は是なり、若き方に出づるなり。
今、吾は将に正に天下の利を與し而して之を取らむことを求めるとすば、兼を以って正と為す、是を以って聰耳明目の相與に視聴せむ、是を以って股肱畢強の相為に動宰し、而して有道なるものは肆めて相教誨せむ。是を以って老いて而に妻子無き者は、侍養する所有りて以って其の壽を終へ、幼弱孤童の父母の無き者は、放依する所有りて以って其の身を長ぜむ。今、唯毋兼を以って正と為せば、即ち若く其の利あり、識らず天下の士の、皆兼を聞きて而るに非とする所以のものは、其の故は何ぞや。
然り而して天下の士の兼を非とするものの言の、猶未だ止まず。曰く、即ち善し。然りと雖も、豈に用いる可けむや。子墨子の曰く、用いて而に可ならざれば、我と雖も亦た将に之を非とす。且に焉むぞ善をして而して用いる可からざる者有らむ。姑く嘗みに両にして而して之を進めむ。誰か以って二士と為し、其の一士をして別を執ら使め、其の一士をして兼を執ら使めむ。是の故に別士の言に曰く、吾は豈に能く吾が友の身の為にすること、吾が身の為にするが若く、吾が友の親の為にすること、吾が親の為にするが若く。是の故に退きて其の友を睹るに、飢に即ち食はせず、寒に即ち衣せず、疾病は侍養せず、死喪は葬埋せず。別士の言は此の若く、行も此の若し。兼士の言は然らず、行も亦た然らず、曰く、吾の聞く天下に高士為る者は、必ず其の友の身の為になすは、其の身の為になすが若し、其の友の親に為になすは、其の親の為になすが若し、然る後に以って天下の高士為る可し。是の故に退きて其の友を睹るに、飢は則ち之を食はせ、寒は則ち之を衣せ、疾病は之を侍養し、死喪は之を葬埋す。兼士の言は此の若く、行は此の若し。之の若き二士者の、言は相非とし而して行は相反せるか。當に若き二士をして、言は必ず信、行は必ず果なら使め、言行せしめ合すること猶符節を合するがごとく、言して而に行ならずは無から使めむ。
然らば即ち敢へて問はむ、今、此に平原廣野有り、甲を被り冑を嬰り将に往きて戦はむとす、死生の権の未だ識る可からず、又た君の大夫は遠く巴、越、齊、荊に使いすること有り、往来の及ぶや否や未だ識る可からず、然らば即ち敢へて問う、将に家室を悪み、親戚を奉承し、妻子を提挈し、而して之に寄託するに識らずや。兼に於いて、識らず、之に是は有るか。別に於いて之に是は有るか。我の以為へらく其の此に於いてするに當りては、天下の愚夫愚婦は無く、兼を非とする人と雖も、必ず之を寄託するに兼に於いて之に是は有りとせむ。此の言の而して兼を非とし、擇べば即ち兼を取り、即ち此の言行は費れるなり。識らず、天下の士の、皆、兼を聞きて而に之を非とする者の所以は、其の故は何ぞや。
然り而して天下の士の兼を非とする者の言の、猶未だ止ずなり。曰く、意ふに以って士を擇ぶ可きも、而して以って君を擇ぶ可からざるか。姑く嘗みに両にして而して之を進めむ。誰か以って二君と為し、其の一君をして兼を執ら使めむ者、其の一君をして別を執ら使めむ者、是の故に別君の言の曰く吾の悪むぞ能く吾の萬民の身の為にすること、吾の身の為にするが若くせむ、此れ泰だ天下の情に非らずなり。人の地上に生るの之の幾何も無きこと、之を譬へば猶駟を馳せて而して隙を過ぐるがごとくなり。是の故に退きて其の萬民を睹るに、飢は即ち食はしめず、寒は即ち衣せず、疾病は侍養せず、死喪は葬埋せず。別君の言は此の若し、行も此の若し。兼君の言の然らずば、行も亦た然らず。曰く、吾の聞く天下の明君為る者は、必ず先ず萬民の身をし、後に其の身の為にする、然る後に以って天下の明君為る可し。是の故に退きて其の萬民を睹て、飢は即ちこれを食はしめ、寒は即ちこれを衣せしめ、疾病は之を侍養し、死喪は之を葬埋す。兼君の言は此の若し、行も此の若し。然らば即ち交も之の二君の若きもの、言の相非とし而して行の相反せるか。常みに若し二君をして、言は必ず信、行は必ず果となさ使め、言行の合すること猶符節を合せるがごとくして、言をなし而して行をせずこと無から使めむ。然らば即ち敢へて問はむ、今歳癘疫有り、萬民の多く勤苦凍餒し、溝壑の中に轉死する者有り、既已に衆し。識らず、将に之の二君を擇ばむとするは、将に何れに従うや。我の以為へらく其の此に於いてするに當り、天下に愚夫愚婦は無く、兼の非とする者と雖も、必ず兼君に従うを是とせむや。言は而して非、兼は非とし、擇べば即ち兼を取りて、此れ言行の拂れるなり。識らず、天下の皆は兼を聞きて而して之を非とする者の所以、其の故は何ぞや。
然りて而して天下の士の兼を非とする者の言は、猶未だ止まずなり。曰く、兼は即ち仁なり、義なり、然りと雖も、豈に為す可きか。吾の兼の為す可からざるを譬へるに、猶泰山を挈げて以って江河を超へるがごとし。故に兼者は直だ之を願ふのみ、夫れ豈に為す可きの物ならむや。子墨子の曰く、夫れ泰山を挈げ以って江河を趙するは、古自り今に及ぶまで、生民より而来、未だ嘗って有らざるなり。今、夫の兼をし相愛し、交も相利すが若き、此れ先の聖六王自り親しく之を行へり。何ぞ先の聖六王の親しく之を行うを知るや。子墨子の曰く、吾のこれと世を並べ時を同じくし、親しく其の聲を聞き、其の色を見るは非ずなり。其の竹帛に書し、金石に鏤み、槃盂に琢し、後世の子孫に傳遺せるものを以って之を知るのみ。泰誓に曰く、文王の日の若く月の若く、光を四方の西土に乍し照す。即ち此れ文王の天下を兼愛すること博大なるを言ひ、之を日月の、天下を兼照することの私の有る無きに譬へるなり。即ち此れ文王の兼なり。子墨子の所謂兼なる者と雖ども、文王に於いて法を取れりなり。
且つ唯だ泰誓のみを然りと為すのみならず、禹誓と雖ども即ち亦た猶是のごとくのみ。禹の曰く、濟濟たる群有り、咸朕の言を聴け、惟れ小子、敢て行ひて乱を稱ぐるに非ず、蠢たる茲の有苗、天の罰を用いる、若に予は既に爾ら群對の諸群を率いて、以って有苗を征す。禹の有苗を征するや、以って富貴を重ねるを以って、福禄を干め、耳目を楽しむを求めるに非ず、以って天下の利を興し、天下の害を除かむことを求む。即ち此は禹の兼なり。子墨子の所謂兼なるものと雖も、禹に於いて焉を求めむ。
且つ唯禹誓のみ然りと為さず、湯説と雖も即ち亦た猶是のごとし。湯の曰く、惟れ予小子の履、敢て玄牡を用い、上天后に告げて曰く、今、天は大いに旱し、即ち朕が身履に當る、未だ罪を上下に得るを知らず、善有らば敢て蔽はず、罪有らば敢て赦さず、簡ぶこと帝の心に在る。萬方の罪有らば、即ち朕が身に當り、朕が身に罪有らば、萬方に及ぶこと無し。即ち此の湯の貴きこと天子と為り、富は天下を有てども、然れども且つ身を以って犧牲と為し、以って上帝鬼神を祠説するを憚らざるを言う。即ち此れ湯の兼なり。子墨子の所謂兼なるものと雖も、湯に於いて法を取らしむ。
且つ惟誓命と湯説とのみ然りと為さず、周詩の即ち亦た猶是のごとし。周詩の曰く、王道は蕩蕩たり、偏せず黨せず、王道は平平たり、黨せず偏せず。其の直きこと矢の若く、其の易らかなること厎の若し、君子の履む所、小人の視る所、若き吾が言は道を語るの謂には非ず、古の文武は正を為し、分を均しくし賢を賞し暴を罰し、親戚弟兄の阿る所の有るは勿し。即ち此の文武は兼なり。子墨子の所謂兼なるものと雖も、文武に於いて法を取る。識らず、天下の人の、皆兼を聞きて而して之を非とするものの所以、其の故は何ぞや。
然りて而して天下の兼を非となす者の言、猶未だ止まず、曰く、意うに親の利に忠をなさずして、而して孝を為すに害ある。子墨子の曰く、姑く嘗みるに之を孝子の親の為に度る者に本原せむ。吾の、識らず、孝子の親の為に度るは、亦た人の其の親を愛利することを欲せむか。意ふに人の其の親を悪賊することを欲せむか。説を以って之を観れば、即ち人の其の親を愛利することを欲するなり。然らば即ち吾の悪むぞ先づ従事して即ち此れを得るか。若しくは我が先づ人の親を愛利するに従事して、然る後に人が我に報ずるに吾が親を愛利するか。意ふに我が先づ人の親を悪むに従事して、然る後に人が我に報ずるに吾が親を愛利するを以ってするか。即ち必ず吾が先づ人の親を愛利するに従事して、然る後に人が我に報ずるに吾の親を愛利するを以ってせむ。然らば即ち之の交も孝子たるは、果して已むを得ざるか、先づ人が親を愛利するに従事する毋からむか。意ふに天下の孝子を以って遇と為し而して以って正と為すに足らざるか。姑く嘗みに先王の書の所に本原せむ、大雅の道す所に曰く、言として而して讐いざるは無く、德として而して報ぜざるは無し、我に投ずるに桃を以ってせば、之を李で以って報う。即ち此れ人を愛すと言う者は必ず愛しみを見、而して人を悪む者は必ず悪しみを見るなり。識らず天下の士の、皆兼を聞きて而して之を非とするものの所以、其の故は何ぞや。
意ふに以って難くして而して為す可からずと為すか。嘗って此れより難くして而して為す可き者有り。昔の荊の靈王は小要を好む、靈王の身に當り、荊國の士の飯は一を踰えず、固く據りて而して後興ち、垣を扶りて而して後に行く。故に食を約するは其の為すを難しと為せども、然る後に而して靈王は之を説び、未だ世を踰えずして民を移す可きは、即ち以って其の上に郷はむことを求むればなり。昔の越王句踐は勇を好む、其の士臣に教えむこと三年、其の知を以って未だ之を知るに足らずと為すや、舟を焚き火を失し、鼓して而して之を進ましむ、其の士前列に偃れ、水火に伏して而して死ぬ、勝げて數ふ可からず有り。此の時に當り、鼓して而して退かざるなり、越國の士の顫ふと謂う可し。故に身を焚くことの其の為すは難しと為せども、然る後之を為し越王は之を説べり、未だ世を踰えずして而して民を移す可きは、即ち以って上には郷はむことを求むればなり。昔の晋文公は苴服を好む、文公の時に當り、晋國の士、大布の衣、牂羊の裘、練帛の冠、且苴の屨をもて、入りて文公に見え、出でて以って朝に踐む。故に苴服の其の為すは難しと為せども、然る後為して而して文公は之を説べり、未だ世を踰えずして而して民を移す可きは、即ち以って其の上には郷はむことを求むればなり。是の故に食を約し、舟を焚き、苴服、此れ天下の至りて為すこと難きものなり、然る後為して而して上は之を説べり、未だ世を踰えずして而して民を移す可きは。何の故ぞや。即ち以って其の上を郷はむることを求むればなり。今、夫れ兼にして相愛し、交も相利するが若く、此の其の利有りて且つ為し易きこと、勝げて計る可からず、我の以為ふに則ち上に之を説ぶもの有りて而して已むは無し。苟も上に之を説ぶもの有りて、之を勧むるに賞誉を以ってし、之を威すに刑罰を以ってせば、我の以為へらく人は兼をして相愛し交も相利するに就くこと、之を譬へば猶火の上に就き、水の下に就くがごとき、天下に防止す可からずなり。
故に兼は聖王の道なり、王公大人の安むずる所以なり、萬民の衣食の以って足る所なり。故に君子は兼を審らかにし而してこれを行うに務むるに若くは莫し、人君と為りては必ず惠、人臣と為りては必ず忠、人父と為りては必ず慈、人子と為りては必ず孝、人兄と為りては必ず友、人弟と為りては必ず悌。故に君子は、若し惠君、忠臣、慈父、孝子、友兄、悌弟と為らむと欲するに若くは莫く、當の兼の若きは行はざる可からず、此れ聖王の道にして而して萬民の大利なり。
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