墨子 巻九 非命下

 

《非命下》

子墨子言曰、凡出言談、則必可而不先立儀而言。若不先立儀而言、譬之猶運鈞之上而立朝夕焉也。我以為雖有朝夕之辯、必将終未可得而従定也。是故言有三法。何謂三法。曰、有考之者、有原之者、有用之者。悪乎考之。考先聖大王之事。悪乎原之。察衆之耳目之請。悪乎用之。発而為政乎國、察萬民而観之。此謂三法也。

故昔者三代聖王禹湯文武方為政乎天下之時、曰、必務挙孝子而勧之事親、尊賢良之人而教之為善。是故出政施教、賞善罰暴。且以為若此、則天下之乱也、将屬可得而治也、社稷之危也、将屬可得而定也。若以為不然、昔桀之所乱、湯治之、紂之所乱、武王治之。當此之時、世不渝而民不易、上變政而民改俗。存乎桀紂而天下乱、存乎湯武而天下治。天下之治也、湯武之力也、天下之乱也、桀紂之罪也。若以此観之、夫安危治乱存乎上之為政也、則夫豈可謂有命哉。故昔者禹湯文武方為政乎天下之時、曰必使飢者得食、寒者得衣、労者得息、乱者得治、遂得光誉令問於天下。夫豈可以為命哉。故以為其力也。今賢良之人、尊賢而好功道術、故上得其王公大人之賞、下得其萬民之誉、遂得光誉令問於天下。亦豈以為其命哉。又以為力也。然今夫有命者、不識昔也三代之聖善人與、意亡昔三代之暴不肖人與。若以説観之、則必非昔三代聖善人也、必暴不肖人也。然今以命為有者、昔三代暴王桀紂幽厲、貴為天子、富有天下、於此乎、不而矯其耳目之欲、而従其心意之辟、外之敺騁、田獵、畢弋、内湛於酒楽、而不顧其國家百姓之政、繁為無用、暴逆百姓、遂失其宗廟。其言不曰吾罷不肖、吾聴治不強、必曰吾命固将失之。雖昔也三代罷不肖之民、亦猶此也。不能善事親戚君長、甚悪恭倹而好簡易、貪飲食而惰従事、衣食之財不足、是以身有陷乎飢寒凍餒之憂。其言不曰吾罷不肖、吾従事不強、又曰吾命固将窮。昔三代偽民亦猶此也。

昔者暴王作之、窮人術之、此皆疑衆遲樸、先聖王之患之也、固在前矣。是以書之竹帛、鏤之金石、琢之盤盂、傳遺後世子孫。曰何書焉存。禹之総德有之曰、允不著、惟天民不而葆、既防凶心、天加之咎、不慎厥德、天命焉葆。仲虺之告曰、我聞有夏、人矯天命、于下、帝式是增、用爽厥師。彼用無為有、故謂矯、若有而謂有、夫豈為矯哉。昔者、桀執有命而行、湯為仲虺之告以非之。太誓之言也、於去発曰、悪乎君子。天有顯德、其行甚章、為鑑不遠、在彼殷王。謂人有命、謂敬不可行、謂祭無益、謂暴無傷、上帝不常、九有以亡、上帝不順、祝降其喪、惟我有周、受之大帝。昔者紂執有命而行、武王為太誓、去発以非之。曰、子胡不尚考之乎商周虞夏之記、従十簡之篇以尚、皆無之、将何若者也。

是故子墨子曰、今天下之君子之為文学出言談也、非将勤労其惟舌、而利其脣也、中實将欲為其國家邑里萬民刑政者也。今也王公大人之所以蚤朝晏退、聴獄治政、終朝均分、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必治、不強必乱、強必寧、不強必危、故不敢怠倦。今也卿大夫之所以竭股肱之力、殫其思慮之知、内治官府、外斂関市、山林、澤梁之利、以實官府、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必貴、不強必賤、強必栄、不強必辱、故不敢怠倦。今也農夫之所以蚤出暮入、強乎耕稼樹藝、多聚叔粟、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必富、不強必貧、強必飽、不強必飢、故不敢怠倦。今也婦人之所以夙興夜寐、強乎紡績織紝、多治麻絲葛緒捆布縿、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必富、不強必貧、強必煖、不強必寒、故不敢怠倦。今雖毋在乎王公大人、蕢若信有命而致行之、則必怠乎聴獄治政矣、卿大夫必怠乎治官府矣、農夫必怠乎耕稼樹藝矣、婦人必怠乎紡績織紝矣。王公大人怠乎聴獄治政、卿大夫怠乎治官府、則我以為天下必乱矣。農夫怠乎耕稼樹藝、婦人怠乎紡織績紝、則我以為天下衣食之財将必不足矣。若以為政乎天下、上以事天鬼、天鬼不使、下以持養百姓、百姓不利、必離散不可得用也。是以入守則不固、出誅則不勝、故雖昔者三代暴王桀紂幽厲之所以共抎其國家、傾覆其社稷者、此也。是故子墨子言曰、今天下之士君子、中實将欲求興天下之利、除天下之害、當若有命者之言、不可不強非也。曰、命者、暴王所作、窮人所術、非仁者之言也。今之為仁義者、将不可不察而強非者、此也。

 

字典を使用するときに注意すべき文字

屬、又恭也。                   つつしむ、うやまう、の意あり。

而、曰然。猶乃也。         しかるに、すでに、すなわち、の用法あり。

防、備也。                       そなふ、の意あり。

雖、推也。                       おしはかる、の用法あり。

術、迹也。又道也。         あと、したがう、の意あり。

 

 

《非命下》

子墨子の言いて曰く、凡そ言談を出だすに、則ち必ず(もつ)て先づ儀を立て(しかる)に言はざる可かざる。()し先づ儀を立てて(しかる)に言はざれば、之を譬へば猶運鈞(うんきん)の上にして而して朝夕を立つるがごとしなり。(おのれ)以為(おもへ)らく朝夕の(ことわり)有りと(いへど)も、必ず将に(つい)に未だ得て而して従ひ定む可からざらむとす。是の故に言に三法は有り。何を三法と謂うか。曰く、之を考ふる者有り、之を(もと)にする者有り、之を用ふる者有り。(いずく)にか之を考ふる。先の聖大王の事に考ふ。(いずく)にか之を(もと)とせむ。(しゅう)の耳目の(しょう)に察す。(いずく)にか之を用ふらむ。発して而して(まつりごと)を國に為し、萬民を察し而して之を観る。此を三法と謂うなり。

故に昔の三代の聖王禹湯文武の(まつりごと)を天下に為す時に(はか)りて、曰く、必ず務めて孝子を挙げ而して之を親に(つか)ふることを勧め、賢良の人を尊びて而して之に善を為すことを教へむ。是の故に(まつりごと)を出だし教を施し、善を賞し暴を罰す。且つ以為(おも)らく此の(ごと)くなれば、則ち天下の乱や、将に(つつしみ)を得て而して治む可きなり、社稷の危や、将に(つつしみ)を得て而して定む可きなり。()し以って然らずと為さば、昔の桀の乱す所、湯は之を治め、紂の乱す所、武王は之を治めむ。(まさ)に此の時、世は(かは)らずして而して民は(かは)らざるも、上が(まつりごと)を變ずれば而して民は俗を改めむ。桀紂に在りては(しかる)に天下は乱れ、湯武に在りては(しかる)に天下は治まる。天下の治まるや、湯武の力なり、天下の乱るるや、桀紂の罪なり。()し此を以って之を観れば、夫れ安危(あんき)治乱(ちらん)は上の(まつりごと)を為すに在り。則ち夫れ()(めい)は有りと謂う可けむや。故に昔の禹湯文武の(まつりごと)を天下に為す時に(あた)りて、曰く、必ず飢ゑたる者をして食を得、(こご)える者をして衣を得、労したる者をして(そく)を得、乱れるる者をして治を()使()め、遂に光誉(こうよ)令問(れいもん)を天下に得たり。夫れ豈に以って命を為す可けむや。故に以って其の力と為すなり。今、賢良の人、賢を尊び而して好みて道術(どうじゅつ)(おさ)む、故に上には其の王公大人の賞を得、下には其の萬民の()を得、遂に天下に光誉(こうよ)令問(れいもん)を得る。亦た豈に以って其の(めい)と為さむや。又た以って力と為さむや。然らば、今、夫れ(めい)を有りとする者は、識らず昔の三代の聖善の人なるか、(おも)ふに()き昔の三代の(ぼう)不肖(ふしょう)の人なるか。(かくのごと)き説を以って之を観れば、則ち必ず昔の三代の聖善(せいぜん)の人に非ざるなり、必ず(ぼう)不肖(ふしょう)の人なり。然らば、今、(めい)を以って有りと為す者は、昔の三代の暴王桀紂幽厲なり、貴きことは天子と為り、富は天下に有り、此に於いてか、其の耳目の欲を()むること(あた)はずして、(しかる)に其の心意(しんい)(へき)(ほしいまま)にし、之を外にしては敺騁(くてい)田獵(でんれい)畢弋(ひつよく)し、内には酒楽に(ふけ)り、而に其の國家百姓の(まつりごと)(かへり)みず、繁く無用を為し、百姓に暴逆し、遂に其の(そう)(びょう)を失ふ。其の言は吾の()不肖(ふしょう)にして、吾は治を聴くことを(つと)めずと曰はず、必ず吾の(めい)(もと)より将に之を失はむとすと曰ふ。昔の三代の()不肖(ふしょう)の民と(いへど)も、亦た猶此のことし。善く親戚君長に(つか)ふること能はずして、甚だ恭倹(きょうけん)(にく)み而して簡易(かんい)を好み、飲食を(むさぼ)りて而して事に従うを(おこた)り、衣食の財は足らず、是を以って身は飢寒(きかん)凍餒(とうたい)の憂に(おちい)る有り。其の言に吾の()不肖(ふしょう)にして、吾は事に従ふこと(つと)めずと曰はず、又た吾の(めい)(もと)より将に窮せむとすと曰ふ。昔の三代の偽民(ぎみん)も亦た猶此のごとし。

昔の暴王の之を(はじ)め、窮人(きゅうじん)は之に(したが)ひ、此れ皆の衆遲樸(ちぼく)を疑はしめ、先の聖王の之を(うれ)ふるや、(もと)より(まえ)に在る。是を以って之を竹帛(ちくはく)に書し、之を金石に(ろう)し、之を盤盂(ばんう)(たく)し、後世の子孫に()たへ(のこ)す。曰く、何の書に(すなは)ち存するや。禹の総德(そうとく)に之は有り、曰く、(まこと)(あら)はれざらむや、()れ天、民は(たも)つこと(あた)はず、既に凶心に(そな)すれば、天は之を(とが)に加へむ、()の德を(つつし)まずんば、天命は(なん)()せむ。(ちゅうき)之告(しこう)に曰く、我が有夏(ゆうか)の、人は天命を()めて、下に、(てい)(もつ)て是を(うら)み、用て()()(うしな)はしむと聞く。彼の無きを用て有と為す、故に()むと謂ふ、()し有りて而して有りと謂はば、夫れ豈に()むと為さむや。昔の、桀は(めい)は有るを()り而して行ひ、湯は(ちゅうき)之告(しこう)(つく)り以って之を非とす。太誓(たいせい)の言は、去に於いて発して曰く、悪乎(ああ)君子(くんし)。天に顯德(けんとく)は有り、其の(おこなひ)(はなは)(あきらか)なり、(かん)を為すこと遠からず、彼の殷王に在る。人は(めい)は有りと謂ひ、(けい)(おこな)ふ可からずと謂ひ、(まつり)(えき)は無しと謂ひ、(ぼう)(そこな)ふこと無しと謂ひ、上帝(じょうてい)(たす)けず、九有以って(ほろ)び、上帝は(したが)はず、()ちて其の(そう)(くだ)す、惟れ我の有周(ゆうしゅう)、之を大帝(たいてい)()く。昔の紂は(めい)は有るを()り而して行ひ、武王は太誓(たせい)を為し、去を発し以って之を非とす。曰く、子は(なむ)(かみ)は之を商周(しょうしゅう)虞夏(ぐか)()(かんが)へざるや、十簡(じつかん)(へん)()以尚(いじやう)、皆之は無し、将に何を(かくのごと)くせむものぞ。

是の故に子墨子の曰く、今、天下の君子の文と学を為し言談を出だすや、将に其の惟舌(こうぜつ)を勤労して、而して其の脣吻(しんぶん)に利せむとするに非ざるなり、中實(まこと)に将に其の國家邑里萬民の刑政を為すと欲するものなり。今や王公大人は(はや)(ちょう)(おそ)退(しりぞ)き、獄を聴き政を治め、終朝(しゅうちょう)均分(きんぶん)、而して(あえ)怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)の者は、何ぞや。曰く、()以為(おもへ)らく(つと)むれば必ず治まり、(つと)めざれば必ず乱れ、(つと)むれば必ず(やす)く、(つと)めざれば必ず(あやう)し、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今や卿大夫は股肱(ここう)の力を(つく)し、其の思慮の知を(つく)し、内には官府を治め、外には関市、山林、澤梁の利を(おさ)め、以って官府を(みた)し、而して敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、()以為(おもへ)らく(つと)むれば必ず貴く、(つと)めざれば必ず賤しく、(つと)めれば必ず栄え、(つと)めざれば必ず(はずか)しめらる、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今や農夫は(はや)()(くれ)に入り、耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)(つと)め、多く叔粟(しゅくぞく)(あつ)め、(しかる)に敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、()以為(おもへ)らく(つと)めれば必ず富み、(つと)めざれば必ず貧しく、(つと)めれば必ず(ほう)(つと)めざれば必ず()、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今や婦人は(つと)()(よひ)()ね、紡績(ぼうせき)(しょくじん)(つと)め、多く麻絲(まし)葛緒(かつちょ)(おさ)縿(ふさん)()りて、(しかる)に敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、()以為(おもへ)らく(つと)めれば必ず富み、(つと)めざれば必ず貧しく、(つと)めれば必ず(あたた)かく、(つと)めざれば必ず(さむ)し、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今、雖毋(ただ)王公大人に在りて、(つい)(かくのごと)(めい)は有りを信じて而して之を致行(ちこう)せば、則ち必ず獄を聴き政を治めるを(おこた)り、卿大夫は必ず官府を治めるを(おこた)り、農夫は必ず耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を怠り、婦人は必ず紡績(ぼうせき)(しょくじん)(おこた)る。王公大人は獄を聴き政を治めるを(おこた)り、卿大夫は官府を治めるを(おこた)らば、則ち(おのれ)以為(おもへ)らく天下は必ず乱れむ。農夫は耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)(おこた)り、婦人は紡織(ぼうしょく)(しょくじん)(おこた)らば、則ち我は以為(おもへ)らく天下の衣食の財は将に必ず足らず。(かくのごと)く以って天下に政を為し、上には以って天鬼に(つか)ふれば、天鬼は使(したが)はず、下には以って百姓を持養(じよう)すれば、百姓は利あらず、必ず離散して得て用ふ可からずなり。是を以って入りて守れば則ち(かた)からず、出でて(ちゅう)すれば則ち勝たず、故に昔の三代の暴王桀紂幽厲は其の國家を(きょううん)し、其の社稷(しゃしょく)傾覆(けいふく)する所以(ゆえん)のものと(おしはかる)も、此なり。是の故に子墨子は言いて曰く、今、天下の士君子、中實(まこと)に将に天下の利を(おこ)し、天下の害を除くことを求めむと欲せば、(まさ)(めい)は有りとする者の言の(ごと)きは、(つと)めて()とせざる可からざりとせむ。曰く、(めい)は、暴王の(はじま)る所、窮人(きゅうじん)(したが)ふ所、仁者に(あら)ざる言なり。今、之の仁義を為す者は、将に察して而して(つと)めて()とせざる可からずとは、此なり。

 

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