墨子 巻十一 小取

《小取》

夫辯者、将以明是非之分、審治乱之紀、明同異之處、察名實之理、處利害、決嫌疑。焉摹略萬物之然、論求群言之比。以名挙實、以辭抒意、以説出故、以類取、以類予。有諸己不非諸人、無諸己不求諸人。

或也者、不盡也。假者、今不然也。効者、為之法也、所効者所以為之法也。故中効、則是也、不中効、則非也。此効也。辟也者、挙他物而以明之也。侔也者、比辭而俱行也。援也者、曰子然、我奚獨不可以然也。推也者、以其所不取之同於其所取者、予之也。是猶謂也者、同也。吾豈謂也者、異也。

夫物有以同而不率遂同。辭之侔也、有所至而正。其然也、有所以然也、其然也同、其所以然不必同。其取之也、有所以取之。其取之也同、其所以取之不必同。是故辟、侔、援、推之辭、行而異、轉而危、遠而失、流而離本、則不可不審也、不可常用也。故言多方、殊類、異故、則不可偏観也。夫物或乃是而然、或是而不然、或一周而一不周、或一是而一非也。

白馬、馬也、乗白馬、乗馬也。驪馬、馬也、乗驪馬、乗馬也。獲、人也、愛獲、愛人也。藏、人也、愛藏、愛人也。此乃是而然者也。

獲之親、人也、獲事其親、非事人也。其弟、美人也、愛弟、非愛美人也。車、木也、乗車、非乗木也。船、木也、入船、非入木也。盜人、人也、多盜、非多人也、無盜非無人也。奚以明之。悪多盜、非悪多人也、欲無盜、非欲無人也。世相與共是之。若若是、則雖盜人人也、愛盜非愛人也、不愛盜非不愛人也、殺盜人非殺人也、無難矣。此與彼同類、世有彼而不自非也、墨者有此而非之、無他故焉、所謂内膠外閉與心毋空乎。内膠而不解也、此乃是而不然者也。

且夫読書、非書也、好読書、好書也。且門雞、非雞也、好門雞、好雞也。且入井、非入井也、止且入井、止入井也。且出門、非出門也、止且出門、止出門也。若若是、且夭、非夭也、壽夭也。有命、非命也、非執有命、非命也、無難矣。此與彼同類、世有彼而不自非也、墨者有此而罪非之、無也故焉、所謂内膠外閉與心毋空乎。内膠而不解也。此乃不是而然者也。

愛人、待周愛人而後為愛人。不愛人、不待周不愛人、不周愛、因為不愛人矣。乗馬、不待周乗馬、然後為乗馬也、有乗於馬、因為乗馬矣。逮至不乗馬、待周不乗馬而後不乗馬。此一周而一不周者也。

居於國、則為居國、有一宅於國、而不為有國。桃之實、桃也、棘之實、非棘也。問人之病、問人也、悪人之病、非悪人也。人之鬼、非人也、兄之鬼、兄也。祭人之鬼、非祭人也、祭兄之鬼、乃祭兄也。之馬之目盼則為之馬盼、之馬之目大、而不謂之馬大。之牛之毛黄、則謂之牛黄、之牛之毛衆、而不謂之牛衆。一馬、馬也、二馬、馬也。馬四足者、一馬而四足也、非両馬而四足也。一馬、馬也。馬或白者、二馬而或白也、非一馬而或白。此乃一是而一非者也。

 

字典を使用するときに注意すべき文字

侔、等也。                                ひとしき、の意あり。

、亦姓、宋大夫尹獲之後。    人名の氏、の意あり。

、黃帝又称歸藏氏                  人名の藏氏、の意あり。

、又五刑之一                         墨刑、の意あり。

雞、司晨鳥。                             あかつき、の意あり。

井、深也。                                ふかみ、の意あり。

門、守也。聞也。                      まもる、きく、の意あり。

夭、屈也。                                くっする、の意あり。

待、遇也、猶見也。                  あであう、みる、の意あり。

棘、棘如棗而多刺、又棗也。    植物種でと棗は区分されるが、棗は棘に含まれる。

 

 

《小取》

夫れ(ことば)は、将に以って是非の分を明らかにし、治乱の(のり)(つまび)らかにし、同異の(ところ)を明らかにし、名實(めいじつ)の理を察し、利害を(しょ)し、嫌疑を決せむとす。(すなは)ち萬物の(しかり)(もうりゃく)し、群言(ぐんげん)の比を(ろん)(きゅう)す。()を以って(じつ)を挙げ、()を以って意を()べ、説を以って()(いだ)し、(るい)を以って取り、類を以って(あた)ふ。(これ)を己に有して(これ)を人に非とせず、(これ)を己に無くして(これ)を人に求めず。

(あるい)は、(つく)さざるなり。()とは、今、(しか)らざるなり。(こう)とは、之が(のり)を為すなり、(こう)とする所は以って之の法を為す所なり。故に(こう)(あた)れば、則ち()なり、(こう)(あた)らざれば、則ち非なり。此れ(こう)なり。()なるは、他物(たぶつ)を挙げて而して以って之を明らかにするなり。(ひとし)きは、比辭(ひじ)して而して(とも)に行くなり。(えん)なるは、曰く()(しか)りとし、(おのれ)(なむ)ぞ獨り以って然りとす可からざらむやと。(すい)なるは、其の之を取らざる所を以って其の取る所のものに同じくして、之を(あた)ふるなり。是は猶ほ謂ふがごとしとは、同じなり。(われ)の豈に謂はむやとは、異なるなり。

夫れ物は以って同じくして而して率遂(ことごとく)は同じからざるは有り。()(ひと)しきや、至る所有りて而して(ただ)す。其の(しか)るや、然る所以(ゆえん)は有り、其の然るや同じくして、其の然る所以は必ずしも同じからず。其の(これ)を取るや、之を取る所以は有り。其の之を取るや同じくして、其の之を取る所以は必ずしも同じからず。是の故に()(ぼう)(えん)(すい)()は、(おこな)ひて而して異り、(てん)じて而して危く、遠くして而して失ひ、流れて而して(もと)を離れ、則ち(つまび)らかにせざる可からず、常用(じょうよう)す可からず。故に(ことば)多方(たほう)殊類(しゅるい)異故(いこ)、則ち偏観(へんかん)す可からず。()れ物は(あるい)は乃ち()にして而して然り、或は()にして(しかる)に然らず、或は(ある)(あまね)くし(しかる)(ある)(あまね)からず、或は(ある)()にして而に(ある)()なり。

白馬は馬なり、白馬に乗るは、馬に乗るなり。驪馬(りば)は馬なり、驪馬に乗るは、馬に乗るなり。獲(獲氏)は人なり、獲を愛するは、人を愛するなり。藏(藏氏)は人なり、藏を愛するは、人を愛するなり。此れ乃ち()にして而して然るものなり。

獲(獲氏)の親は人なり、獲が其の親に(つか)ふるは、人に(つか)ふるに非ざるなり。其の弟は()き人なり、弟を愛するは、()き人を愛するに非ざるなり。車は木なり、車に乗るは、木に乗るに非ざるなり。船は木なり、船に入るは、木に入るに非ざるなり。盜人は人なり、盜の多きは、人の多きに非ざるなり、盜無きは人無きに非ざるなり。(なに)を以って之を明らかにせむ。盜の多きを(にく)むは、人の多きを(にく)むに非ざるなり、盜の無きを欲するは、人の無きを欲するに非ざるなり。世は(あい)(したが)(とも)に之を()とす。()()(ごと)き、則ち盗と雖も人は人なり、盜を愛するは人を愛するに非ざるなり、盜を愛せざるは人を愛せざるに非ざるなり、盜人を殺すは人を殺すに非ざるや、(なん)()し。()()(たぐい)を同じくす、世は()が有りて而して自ら非とせず、者は此れ有りて而して之を非とす、他故(たこ)は無し、所謂(いわゆる)内膠(ないこう)外閉(がいへい)()げて心に(くう)()し。内膠(ないこう)して而して解けざるなり、此れ乃ち()にして而して然らざるものなり。

且つ()れ書を読まむとするは、書に非ざるなり、書を読むを好むは、書を好むなり。(まさ)(あかとき)()くは、(とり)に非ざるなり、(あかとき)()くを好むは、(あかとき)を好むなり。(まさ)(ふかみ)に入らむとするは、()に入るに非ざるなり、(まさ)(ふかみ)に入らむとするを止めるは、(ふかみ)に入るを止むるなり。(まさ)(もん)を出でむとするは、(しゅ)に出づるに非ざるなり、(まさ)(もん)に出でむとするを止むるは、(もん)を出づるを止むるなり。()()(かくのごと)くならば、(まさ)(よう)せむとすは、(くつ)するに非ざるなり、(じゅ)もて(よう)するなり。(いのち)有りて、(めい)に非ざるなり、有命(ゆうめい)を執るを()とするは、(いのち)()とするや、難は無し。()()と同類を同じくす、世は()は有りて而して自ら非とせず、(ぼく)せし者に()有りて而して(つみ)し之を()とし、也故(たこ)は無し、所謂(いわゆる)内膠(ないこう)外閉(がいへい)()げて心に(くう)()し。内膠(ないこう)して而して解けざるなり。此れ乃ち()ならずして而して(しか)るものなり。

人を愛するは、(あまね)く人を愛するを待ちて而して後に人を愛すると為す。人を愛せざるは、(あまね)く人を愛せざるを待たず、周く愛せず、因って人を愛せずと為す。馬に乗るは、周く馬に乗るを()たず、然後(すで)に馬に乗るを為し、馬に乗るが有れば、因って馬に乗ると為す。馬に乗らざるに至るに(および)び、周く馬に乗らざるを()而後(すで)に馬に乗らず。此れ(ある)(あまね)くして()(ある)(あまね)からざるものなり。

國に居れば、則ち國に居るを為す、一宅を國に有するも、(しかる)に國を有すると為さず。桃の實は桃なり、(きょく)の實は(なつめ)に非ざるなり。人の病を問うは、人を問ふなり、人の病を(にく)むは、人を悪むに非ざるなり。人の鬼は人に非ざるなり、兄の鬼は兄なり。人が鬼を祭るは、人を祭るに非ざるなり、兄の鬼を祭るは、乃ち兄を祭るなり。之の馬の()(びょう)なれば則ち之を(ばびょう)と為し、之の馬の目が大なるも、而して之の馬は大と謂はず。之の牛の()()なれば、則ち之の牛は黄と謂ひ、之の牛の()(おお)きも、而して之の牛は(おお)しと謂はず。一馬は馬なり、二馬も馬なり。馬の四足とは、一馬にして而して四足なり、両馬にして而して四足に非ざるなり。一馬は馬なり。馬が或いは白しとは、二馬にして(しかる)に或いは白きなり、一馬にして(しかる)に或いは白きに非ず。此れ乃ち(ある)()にして(しかる)(ある)()なるものなり。

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