墨子 巻十 経下

《経下》

止、類以行之。説在同。

推類之難、説在之大小。

物盡同名、二與門、愛、食與招、白與視、麗與、夫與履。

一偏棄之、謂而固是也、説在因。

不可偏去而二、説在見與俱、一與二、廣與修。

不能而不害。説在害。

異類不吡、説在量。

偏去莫加少、説在故。

假必誖、説在不然。

物之所以然、與所以知之、與所以使人知之、不必同。説在病。

疑、説在逢、循、遇、過。

合、與一、或復否、説在拒。

歐物一體也、説在俱一、惟是。

宇、或徙、説在長宇久。

不堅白、説在無久與宇。

堅白、説在因。

在諸其所然未者然、説在於是推之。

景不徙、説在改為。

景二、説在重。

景到、在午有端與景長、説在端。

景迎日、説在慱。

景之小大、説在地正遠近。

臨鑒而立、景到。多而若少、説在寡区。

鑒位、景一小而易、一大而正、説在中之外内。

鑑團、景一天、而必正、説在得。

負而不撓、説在勝。

契與枝板、説在薄。

倚者不可正、説在剃。

推之必往、説在廃材。

買無貴、説在仮其賈。

賈宜則讐、説在盡。

無説而懼、説在弗心。

或、過名也、説在實。

知知之否之足用也誖、説在無以也。

謂辯無勝、必不當。説在辯。

無不讓也、不可。説在始。

於一、有知焉、有不知焉、説在存。

有指於二、而不可逃、説在以二

所知而弗能指、説在春也、逃臣、狗犬、貴者。

知狗而自謂不知犬、過也、説在重。

通意後對、説在不知其誰謂也。

所存與者、於存與孰存、駟異説。

五行毋常勝、説在宜。

無欲悪之為益損也、説在宜。

損而不害、説在餘。

知而不以五路、説在久。

必熱、説在頓。

知其所以、不知、説在以名、取。

無不必待有、説在所謂。

擢慮不疑、説在有無。

且然不可正、而不害用工、説在宜。

均之絕不、説在所均。

堯之義也、生於今而處於古。而異時。説在所義二。

狗、犬也、而殺狗非殺犬也、可。説在重。

使、殷、美、説在使。

荊之大、其沈淺也、説在具。

以檻為摶、於以為、無知也。説在意。

意未可知、説在可用過仵。

一少於二而多於五、説在建住。

非半、弗、則不動。説在端。

可無也、有之而不可去。説在嘗然。

正而不可擔、説在摶。

宇進無近、説在敷。

行循以久、説在先後。

一法者之相與也盡、若方之相召也。説在方。

狂挙不可以知異、説在有不可。

牛馬之非牛、與可之同、説在兼。

循此循此與彼此同。説在異。

唱和同患、説在功。

聞所不知若所知、則両知之、説在告。

以言為盡誖、誖。説在其言。

惟吾謂非名也、則不可。説在仮。

無窮不害兼、説在盈否。

不知其數而知其盡也、説在明者。

不知其所處、不害愛之。説在喪子者。

仁義之為内外也、内、説在仵顏。

学之益也、説在誹者。

誹之可否、不以衆寡。説在可非。

非誹者諄、説在弗非。

物甚不甚、説在若是。

取下以求上也、説在澤。

是是與是同、説在不州。

 

 

《経下》

()、類を以って之を行う。説は同じきに在り。

(るい)(くらぶ)の之は難し、説は之の大小に在り。(推、排也、猶列也)

物は(ことごと)く名を(とも)にし、(わか)つに(したが)()き、愛す、食ふに(したが)(もと)め、(みなもと)(したが)(あきらか)にし、(ぜん)(したが)ひて、()(したが)(さいわい)す。(同、共也、又聚也。二、分而爲二。與、又許也,従也。門、聞也。招、又求也。白、素也。視、明也。麗、美也、猶善也。履、又祿也、猶福也)

(いち)(これ)偏棄(へんき)し、謂ひて而して(もと)より()なり、説は因に在り。

偏去(へんきょ)して而して(わか)()からず、説は、(けん)(つまびらか)するに(したが)ひ、(いち)()(したが)ひ、(ひろさ)(ながさ)(したが)ふに在り。(二、分而爲二。俱、具也。修、又長也。)

(あた)はずして而して(がい)あらず。説は害に在り。

異類は(そし)らず、説は量に在り。

偏去するも(すくな)きを加えるは莫し、説は()に在り。

()は必ず(たが)ふ、説は(しか)らざるに在り。

物の(しか)所以(ゆえん)と、之を知るの所以(ゆえん)と、人をして知ら使()らしむ所以(ゆえん)と、必ずしも同じからず。説は病に在り。

()、説は(ほう)(じゅん)(ぐう)()に在り。

合して一と()す、(ある)いは(ふく)するか(いな)か、説は(きょ)に在り。

歐物(くぶつ)は一體なり、説は一を(つまびらか)にすると是を(おもむはか)るに在り。(俱、具也。惟、凡思也。)

()、或は(うつ)る、説は長宇(ちょうう)(きゅう)に在り。

堅白(けんぱく)ならず、説は久と宇の無きに在り。(注;堅白異同説)

堅白、説は因に在り。(注;堅白異同説)

(もろもろ)の其の(しか)る所と未だ然らざるものを(あき)らかにす、説は(ここ)に於いて之を(しりぞけ)るに在り。(推、排也。)

(かげ)(うつ)らず、説は改め為すに在り。

(かげ)(わか)ちて、説は重なるに在り。(二、分而爲二。

(かげ)(さかしま)なるは、(さかさま)に在りて端は有り景の長さに(したが)ふ、説は端に在り。(到、異体字;倒。午、屰也。與、又許也、從也。)

景は日に迎ふ、説は(てん)に在り。

景の小大、説は地正(ちせい)遠近(えんきん)に在り。

(かがみ)に臨み而して立てば、景は(さかしま)なり。(ながく)して(しかる)(しょう)(ごと)し、説は(わか)ちて(しょう)に在り。(到、異体字:倒。多、長也。区、分也。寡、少也。)

(かがみ)の位、景の(ある)は小にして而して(ぼやけ)(ある)は大にして而して(あきらか)、説は之の(ちゅう)の外内に在り。(位、又所也。中、中心也)

(かがみ)(えん)、景は(いち)にして(たおれる)(しかる)に必ず(ながい)、説は(ためす)に在り。(天、顚也。正,長也。得、又賦受)

()ひて(しかる)(たわ)まず、説は(たえ)るに在り。

契と枝は(はん)す、説は薄に在り。(契、合也。枝、又支持也。板、反也。薄、又集也。)

()なる者は(ただ)()からず、説は(てい)に在り。(剃、或作剔。)

之を(うつ)せば必ず()る、説は材を廃するに在り。(推、又移也。往、去也。)

(ばい)には(こう)は無し、説は其の()(やめ)るに在り。(貴、高也。賈、猶買賣也。仮、覆也。)

()(よろ)しければ則ち(ととの)う、説は(つく)すに在り。(賈、猶買賣也。。讐、猶齊也。)

説無くして而して(おそ)れ、説は弗心(ふつしん)に在り。

(まよひ)は、名を(あやま)るなり、説は(じつ)に在り。

()、之を知り之を否とし用ふるに足るは(もと)る。説は以ってすること無きに在り。

()(べん)の勝ち無きは、必ず(あた)らず。説は辯に在り。

(ゆず)らざる無きや、()からず。説は始に在り。

一に於いて、知る有りや、知らず有りや、説は存に在り。

二に於いて(のぞ)くが有るは、而して()がれ()からず、説は(わか)つを(かさ)ねるを以って在り。(指、斥也。二、分而爲二。)

知る所にして(しかる)(のぞ)くは(あた)はず、説は(おしはかる)に在り、逃臣(とうしん)狗犬(くけん)貴者(きしゃ)なり。(指、斥也。春、推也。)

()を知り而して自から(けん)を知らずと謂う、(あやま)ちなり、説は重に在り。

()を通じ後に(こた)ふ、説は()を誰か謂ふを知らずに在るなり。

所存(しょぞん)(しゃ)(ぞん)孰存(しゅくぞん)に於いて、異説を()る。

五行(ごぎょう)に常勝は()し、説は()に在り。(宜、事也。)

欲悪(よくお)の之の益損(やくそん)を為すこと無きなり、説は()に在り。(宜、事也。)

損して(しかる)に害せず、説は餘に在り。(餘、饒也、又益也)

()するに(しかる)五路(ごろ)を以ってせず、説は(なか)に在り。(久、常於中也。)

必は(あつ)し、説は頓に在り。(必、又專也。熱、溫也、溫、仁也。頓、遽也。)

知は其の所を以って、知らず、説は名を以って在り、取るなり。

無は必ずしも有を待たず、説は謂ふ所に在り。

(てき)(おもんばか)って(うた)がわず、説は有無に在り。(擢、引也。)

(まさ)(しか)らば(ただ)()からず、而して工を用いるに害せず、説は()に在り。(宜、事也。)

(きん)の之を(はか)るか(いな)か、説は(はか)る所に在り。(均、平也。絶、度也。)

(ぎょう)の義や、(いま)に於いて(せい)ありて()(いにしえ)に於いて()る。(しかる)に時は異なる。説は義を(わか)つ所に在り。(二、分而爲二。)

()、犬なり、而して狗を殺し犬を殺さずに非ずや、可なり。説は重に在り。

使()(せい)(ぜん)なり、説は使に在り。(使、令也,役也。殷、正也。美、善也、又好也。)

(けい)、之は大いなり、其の沈は淺なり、説は具に在り。(沈、或作湛。具、辦也)

(かん)を以って(ばく)と為し、於いて()を以って、知る無きなり。説は意に在り。

()は未だ知る()からず、説は(もち)うる()くして、過仵するに在り。(仵、偶敵也。)

(いち)()に於いて(しょう)にして(しかる)()に於いて(かさな)る、説は(じゅう)(けん)するに在り。(多、重也。住、立也,居也。)

(はん)に非ず、()らずば、則ち動かず。説は端に在り。

()かる()きなり、之有りて而して去る可からず。説は嘗然(しょうぜん)に在り。

(せい)にして而して(にな)う可からず、説は摶に在り。

()は進み(きん)は無し、説は()に在り。

(じゅん)(おこな)ふには(きゅう)を以ってし、説は先後に在り。(循、行順也。久、常於中也。)

(ある)(のり)のものを(あい)(とも)にするや(ことごと)し、(ほう)(あい)(ひょう)するが(ごと)くなり。説は(ほう)に在り。(方、又術也,法也。召、評也。)

狂挙(きょうきょ)は以って異を知る可からず、説は不可(ふか)の有るに在り。

牛馬(ぎゅうば)(これ)(うし)に非ず、之を可とすると同じ、説は兼に在り。

()(めぐ)り此に()ると()()は同じ。説は異に在り。(循、依也。又巡也。)

()を唱え患を同じくす、説は功に在り。

知らざる所を聞くは知る所の(ごと)し、則ち(とも)に之を知る、説は告ぐに在り。

言を以って(ことごと)(もと)るを為すは(もと)る。説は其の言に在り。

()、吾の(めい)に非ずを謂うなり、則ち可からずなり。説は(くつがえす)に在り。(惟、念思也。名、自命也。仮、覆也。同反。)

無窮(むきゅう)は兼を害せず、説は(えい)を否するに在り。(経上;盈、莫不有也。)

其の數を知らず(しかる)に其の(つく)すを知るなり、説は明かなるものに在り。

其の()る所を知らずも、之を愛するを害せず。説は子を(うしな)う者に在り。

仁義の之を内外に為すや、内なり、説は(ひたい)(おな)じきに在り。(顔、顙也。仵、同也。)

之を学ぶは益なり、説は(そし)る者に在り。

之を(そし)るは否する可べき、衆寡(しゅうか)を以ってせず。説は非とす()きに在り。

()()するは(もと)る、説は非とせずに在り。

物の(はなは)だしきと(はなは)だしからずは、説は(これ)(ごと)くに在り。

下を取って以って上を求むなり、説は(てん)に在り。(易経;澤上于天:君子以施禄及下)

是是(ぜぜ)()は同じく、説は(ことさら)にせずに在り。(州、疇也、殊也。)

 

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